ヨーロッパ流キリスト教はなぜユダヤを嫌うのか?
<Q>
ローマ書の「こうしてイスラエルは救われるのです」の「イスラエル」の解釈です。
神学的な予断を排して普通に読めば、一貫して民族としてのイスラエルを指していると読めます。
確かジョン・マーレーは当初、同じ段落内で途中までは民族的イスラエル、最後だけは霊的イスラエルという具合に"曲芸"的な解釈を展開していたのを覚えています。後に解釈を変えたと認識しておりますが、長老・改革派の間でも「霊的イスラエル」という解釈がどちらかというと主流ではないかと思います。組織神学上の博学がこの箇所の素朴な理解を邪魔しているように思えて仕方がありません。
ディスペンセーショナリズム的な解釈は論外として、民族としてのイスラエルが救われるという解釈を嫌う傾向というのは、ユダヤ人を嫌ってきた古来からのヨーロッパの"伝統"の影響を受けていると理解してよいのでしょうか。(嫌われる理由の大半は彼らにあるのでしょうし、嫌われる理由を作ってきたのはアシュケナージなのだと思いますが。)
<A>
パウロは一貫して、文脈から、「民族としてのイスラエル」について語っています。
米ピューリタンは、そのように解釈していました。
しかし、欧米のキリスト教の一般的傾向は、ユダヤ人嫌いであり、ユダヤ的なものからの離反にあります。
コンスタンチヌス帝のときに、キリスト教はユダヤから離れ、ギリシャ化しました。
「我々(つまりキリスト教)のルーツ(つまりユダヤ)について無知であることの責任は、我々自身にはない。クリスチャンの無知の原因は、ユダヤ的背景から自身を引き離そうとしてきた教会の意図的な誘導にあった。教会は、自身をユダヤ教(この場合旧約のユダヤ人の宗教)の文脈においてというよりも、ユダヤ教に対抗するものとして定義した。知的及び歴史学的な誠実さを保とうとするならば、ユダヤ教の文脈において自身を定義づけてきたはずなのだが。教会が人口、宣教の思想、神学において異邦人に支配されるようになりはじめたのは、一世紀後半からであった。コンスタンチヌス大帝が「教会はもはやユダヤ教やユダヤ人とまったく関係がなくなった」との勅令を出したのが325年。プロテスタントのキリスト教ですら、新約聖書を固有のヘブライ語イディオムや思想、歴史的ユダヤ教の文脈から引き離すことによって、文法的・歴史的解釈法に違反してきた。」(ジョン・D・ガール博士)
http://christianactionforisrael.org/judeochr/roots.html
律法は軽んじられ、民族としてのユダヤ人が選民であるという考えも衰退しました。
このユダヤ嫌いの背後には、異邦人がキリスト教の主軸を担うようになって、その中心にあった異教的な考えである「ギリシア由来の自然主義」がキリスト教を汚染したという現象があります。
ギリシア由来の自然主義では、「神の創造の以前に自然秩序があった。だから自然法は、聖書法を超越する」と考えます。だから、ローマ・カトリックはその影響から「法王を自然に関する権威とし、創造の法の権威である聖書を超越させ」ます(ヴァン・ティル)。
しかし、聖書は、「神は無から万物を創造された」としますので、自然は神の法に従属します。
自然法の自律性はありえません。
キリスト教がローマにおいて公認されギリシア・ローマ文化に入ったときに、ギリシア・ローマ文化もキリスト教に入りました。
自然を究極に置く考えの基本には「神と神の法からの自律」というサタンの誘惑があります。
「善悪を自分で決定する」というエデンの園におけるサタンの誘惑に負けた姿がギリシアそしてヨーロッパの自然法思想です。
ユダヤ性をキリスト教から排除したがるヨーロッパのキリスト教の傾向は、この「エデンの園の誘惑」が歴史を通じて働いてきたことを示しています。
カルヴァンにおいて律法は一部解放されましたが、十分ではなく、ラッシュドゥーニーとバーンセンにおいて本格的に回復されたと見てよいと思います。
しかし、ラッシュドゥーニーは、「ユダヤ人の民族的な回復」という教義については、まだギリシアを引きずっていました。
これが回復したのはゲイリー・ノースからと見てよいと思います。
http://www.path.ne.jp/~millnm/jew.html
2010年7月19日
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