頭部を欠いたキリスト教
どんなに高価な人物絵画、例えばモナリザの微笑、でも、首が欠落したら値打ちは大きく下がる。
手とか足などの部分が欠落するよりも、頭部が欠落したら値の下がり幅は大きい。
サタンは、キリスト教の値打ちを下げるために、頭部を欠落させた。
肝心の頭部、すなわち、神を欠いたキリスト教を作り出した。人間中心のキリスト教である。体系全体が人間を中心にしているキリスト教。キリスト教ヒューマニズム派。いや、ヒューマニズム教キリスト派。
今日、いたるところに見られるやつだ。
頭部を欠いているから、本来の値打ちがほとんど失われている。売り出している本人が気づいて頭部を探すはずだが、探さない。
なぜならば、この頭部、実は、売主自身にとって都合の悪いものなのだ。売主自身それを嫌っており、つけると気分が悪くなる。だから、積極的に探そうとしない。
サタンは、頭部のあるキリスト教に対しては熾烈な弾圧を加え、頭部のないキリスト教には自由を与えた。
頭部のないキリスト教は、サタンにとって恐ろしくないばかりか、自らキリスト教の評判を下げてくれるから、むしろ歓迎している。
人間の欲望によって作り変えられたいびつなキリスト教、肝心な部分を欠いたキリスト教、地上統治の責任をできるだけ回避し、天国に逃げ込むことばかりを考えているキリスト教、律法を廃棄したものと教え、天国行きの切符だけを渡す、いいとこ取りのキリスト教、侵略戦争を行う邪悪な大統領を支持する人殺しキリスト教。
実質的に自分から「我々は邪教徒です」と宣伝しているようなものだから、サタンにとっていい弟子である。
このようなキリスト教についていっても、意味はない。短い人生、たった一度しかない人生を騙され、地獄で暮らすために使うのは賢いことではない。
2008年6月6日
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