私の友人で、「神よ。私にサタンに打ち勝つ権能を与えてください」としきりに祈っている人がいる。
私は、これまで何度も「すでにサタンに打ち勝つ権能は与えられているのですよ。クリスチャンになったということは、王になったことなのですから。」と言っても、同じことを言う。
聖書ははっきりと「悪魔に立ち向かえ。そうすれば悪魔はあなたがたから逃げ去る」と言っている。
ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。(ヤコブ4・7)
我々は、悪魔を従える権能を持っているのである。
どうして、それなのに「与えてください」と祈るのだろうか。
自分の立場を誤解しているのである。
どうして誤解しているかといえば、現状を見ているからである。
現状、現実、周りの状況を、信仰よりも上位に置いているからである。
これも、聖書を基準として見てない誤謬である。
人々がポスト・ミレを信じられないのは、「現実を見てください」という惑わしからだ。
クリスチャンは、現実を見て判断するのではなく、約束を見て判断するのである。
我々にとって、科学的な判断は時に誘惑になるから注意が必要だ。
「科学はこう言っています」とか「統計上、こうなるでしょう」とかいう判断は、間違いを生む。
信仰よりも科学を優先できない。
科学を優先するときに、悪魔は我々の心に入り込む。そして、我々の心を不安の中に陥れる。
心をかく乱させ、罪を犯させる。
こうして我々の生活をめちゃくちゃにしようとする。
御言葉にはっきりと約束されていることについては、我々は科学を無視すべきだ。
これが聖書的認識論だ。そして、ここに人類の希望がある。
死が終わりではなく、その先に復活がある。死は命に飲まれた。
科学は、死を終わりという。しかし、信仰は、死は終わりではないという。
御言葉の約束については頑固になれ。誰が何を言おうと、御言葉だけを信じるべきだ。