なぜ世界を幕屋の構造によって見るべきなのだろうか。
それは、幕屋が世界の模型として作られたからだ。
幕屋もノアの箱舟も、世界の構造を表現している。
ウェストミンスター神学校名誉教授メレディス・G・クラインはこのように述べている。
(箱舟は)神の霊的な家である。天地という創造主の宇宙的住居や、後の、イスラエルの小宇宙である幕屋と神殿は、神の霊的な家を象徴するモデルである。
ここで、箱舟は、この宇宙的住居としての神の御国を表現するものとして設計された、ということを見るべきである。
というのも、箱舟は、航海に適するものであったが、船としてではなく、家のようなものとして作られたからだ。箱舟に関する記述に現われたすべての特徴(3階建て、扉、窓)は、家屋の建築のそれである。
(Meredith G. Kline, Kingdom Prologue, 3 vols. (by the author, 1983) 2:105.)
http://www.wscal.edu/faculty/mkline.htm
幕屋も箱舟も、大きく分けて2つの領域からなる。
(1)異邦人の世界と(2)契約の民の世界
海は異邦人の世界を象徴し、箱舟は契約の民の世界を象徴する。
幕屋の外は異邦人の世界を象徴し、幕屋の内側は契約の民の世界を象徴する。
契約の民の世界は、さらに3つの部分から成り立つ。
箱舟は3層から成った。
http://www.millnm.net/qanda3/55rg7dBbMP8I42900.htm
幕屋の場合以下に分かれていた。
(1)庭 (2)聖所 (3)至聖所
1から3に進むにつれて外の世界と隔離されるので暗くなる。
庭は野外である。聖所には燭台があった。至聖所は明かりがなく、真っ暗であった。
1から3への方向は、東から西である。
文明の中心は、エジプト・イスラエル→ヨーロッパ→アメリカとこれまで東から西に移ってきた。
だから、次の中心は、アジアだ。
日本は、表面的に見ると真っ暗である。つまり、キリストの光があたかも存在しないかのような世界である。
しかし、それは外面的表面的に見た場合のはなし。
キリストは祭壇でご自身を犠牲にされ、大祭司として至聖所に入られ、そこに王座を据えられた。
キリストは、暗い至聖所の中で輝いておられる。
至聖所の中で輝くものはキリスト以外にないので、日本には人間的な不純物の混じったキリスト教は入ることを許されない。
日本において繁栄するのは、純粋なキリスト教、つまり、聖書的キリスト教だけである。