聖霊を冒涜する罪は絶対に赦されない
<精神科Dr.X様>
自分でマルキオンの異端の構成要件をあげつらって
それらに自分は該当しないので、正統だと自分で判定しています。
面白いですね。精神病患者が人格テストに慣れると
どう答えれば正常と出るかわかってテストするみたいな・・・(笑)
<tomi>
掲示を感謝いたします。
もう、彼は、まともに議論の俎上に乗ろうとせず、論点をはぐらかすので、彼とのやりとりはもうウンザリですが、しかし、ああやってこちらを批判し、自分の立場をつき進めば進むほど自分で自分の立場を破壊していく様をさらすことになるので、ディスペンセーショナリズムの破局を予告するものとして彼の動静を「ウォッチング」するのも意味があるのかもしれません。
<fms様>
福音派の山谷氏のHPでは、旧約聖書は本当に悪魔的か否かをめぐって議論が起きつつあるようです。
<tomi>
掲示を感謝いたします。
もう論外ですね。
パウロは旧約聖書について、「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です」(2テモテ3・16)と述べています(この当時は聖書といえば旧約聖書のこと)。
「神の霊感によるもの」で、「教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益」なものが、どうして「悪魔的」なんでしょうかね。
聖書の一部分であっても、それを悪魔的だの、悪霊の仕業だの言う人間は、「聖霊を汚す罪」を犯しています。
イエスは、ご自身の奇蹟の業を見て、「悪魔によって悪魔を追い出している」とつぶやいたパリサイ人に向かって、「聖霊を汚す者」だと宣言されました。つまり、神の御業、神のなさったこと、神の語られたことを、悪霊に帰するという罪は、「聖霊を汚す罪」です。
そして、「聖霊を汚す罪」は「絶対に」許されません!
だから、わたしはあなたがたに言います。人はどんな罪も冒涜も赦していただけます。しかし、聖霊に逆らう冒涜は赦されません。(マタイ12・31)
しかし、聖霊をけがす者はだれでも、永遠に赦されず、とこしえの罪に定められます。(マルコ 3・29)
旧約聖書を悪魔的だという人間は、そう言った瞬間に、地獄の刑罰が決定しました。
2004年6月11日
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