ものそのものは虚無である
進化論の世界観に立つと、あらゆるものがむなしくなる。
進化論によると、世界も人間も誰かの意思や計画に基づいて成立したのではなく、偶然に出現したのである。
偶然に出現したということは、世界や人生に意味はまるでない、と宣言することと同じである。
自分で人生に意味を見つけて生きている人は、単に「勘違いをしている」に過ぎない。
人間の目標の一つ一つは、それぞれが無根拠に作った「勘違いの産物」である。
金儲けそのものはむなしいものである。「金を蓄えました。それがどうした?」と自問しても答えはないだろう。
金そのものは虚無である。豪邸を手に入れたとしても、恐らく2,3年住めば飽きてくるだろう。世界の珍味を集めて食べても、食べてしまえば、それがどうした?というようなものでしかないだろう。
人生のあらゆる価値有るものとは、このようなものだと思う。それ自体にはそれほど意味はないのである。
自分の人生を神から切り離すことによって、人生は虚無になり、その中で獲得した幸せや価値あるものは、手に入れた瞬間に輝きを失ってしまう。
なぜならば、「すべての価値は、神にのみ基礎付けられているから」である。
神は創造者であり、すべてのものに意味を付与された。だから、この世界に存在するものから、神との関わりを奪えば、残りは「蝉の抜け殻」のようなものでしかないのだ。
「あれをしたい、これをしたい」と思って実際にやってみても、それ自体から満足を得られることはほとんどないだろう。なぜならば、それは「抜け殻」だから。
すべてのものは、神にあってはじめて価値を持つ。
進化論に騙されて人生を無意味な時間と無意味な行動の集積とするか、聖書にしたがって人生の中心に神を迎え、すべての時間と行動に意味を与えて有意義な一生を送るか。
「tomiさん、クリスチャンは金儲けしてはならないんじゃないですか?」
違う。聖書は金儲けそのものを否定していない。神がいない金儲けは無意味であり、違法だと述べている。
神の御国の拡大において、金は必要不可欠である。金がなければ御国はいつまでたっても拡大せず、それゆえ、人々はいつまでたってもサタンの王国の中で呻吟し続けることになる。
「御国の発展のため」という大目標を立てるときに、金儲けも何もかもすべてが命を与えられ、虚無から解放され、本来の使命を回復するのである。
2005年7月31日
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