インターネット時代には現れるべくして現れたということだろうか。
「おかしな牧師の実名をさらして罪を暴いて何が悪い?もっとやってほしい。これ以上、とんでもない牧師が増えないために」
一見すると、もっともな議論だ。
しかし、聖書はそんなこと言っていない。
長老に対する訴えは、ふたりか三人の証人がなければ、受理してはいけません。(1テモテ5・19)
教会の権威に対しては、その教会の人々による裁判というしかるべき手段を講じるべき。
うわさの類をホームページにおいて流して、牧師の名誉を毀損することは、神の権威に対する直接的な挑戦になるから注意が必要だ。
「牧師が全員神に任命されて権威があるわけではないでしょう」???
そうですか。
じゃあ、やったらどうですか。
僕は怖くてできませんね。いくら個人的に反感のある人であっても。僕もいろんな情報を持っている。これを発表したらその牧師のすべての業績がパーになるようなことも。しかし、僕は出さない。そんな恐ろしいことできない。
どんなにひどい王様であってもサウルに対して、ダビデは最後まで権威として扱い、自分からは絶対に手をかけなかった。
神を恐れたから。
教会の権威について無知であるということは、決定的。
自分の命にかかわるから。
ダビデをのろったシムイがどういう最期を遂げたかよく読むべきでしょうね。