サタンの幻惑が続いてきた


<O様>
「業の契約」について、詳細な御解説をありがとうございました。
以前のニュースレター、例えばK兄との討論なども復習しております。
ラッシュドゥーニーやジョーダンなども読み返しているところです。

もちろん私は二重契約説に立ちますが、彼ら、特にラッシュドゥーニーほどの神学者が、何故このような誤謬に陥ったのかの理解に苦しんでおります。
「業の契約」と律法の関係があやふやになると、例えばアンチ・セオノミー陣営の格好の攻撃材料になるか、とも思われましたので、ここはしっかりおさえておきたいと思っております。

話は変わりますが、鳩山は小沢のイエスマン、小沢は中国のイエスマンで、結局民主党は日本を中国の属国にしたいだけなのですね。
http://mainichi.jp/select/seiji/administration/news/20091214k0000e010042000c.html
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20091215k0000m010062000c.html

民主党はフリーメイソン日本支部政治局、自民党にもメイソンの傀儡がいた(いる)
2009年の総選挙は、実は身内の中での茶番劇で、担当者の首がすげ替えられただけ欧米ではアメリカの役目が終わったから、主役を再びヨーロッパに戻していくアジアは中国に任せて、共産主義で真っ赤に塗りつぶしてしまう最後の目の上のタンコブである、プロテスタントのクリスチャンはリベラル・福音派(・聖霊派)、それぞれ適材適所にエージェントを配置して、時限爆弾的に信仰を破壊
・・・着々と進行しているように、見えますがこれからがいよいよ我々の正念場なのですね。

<tomi>
業の契約と恵みの契約は、契約神学にとって基本中の基本です。

アダムが被造物の代表として、被造物を栄光化する責任を神に与えられていたということがなければ、キリストがなぜ受肉しなければならなかったのか理由がなくなります。

もちろん、キリストが人間の身代わりに十字架につく、という意味が受肉にはあったのですが、それだけではない。

人間の代わりに世界を栄光化するためにも受肉があった。

アダムが失敗したので、代わりに世界を褒美として受け取るためにキリストがやってこられた。

仏教の言葉を使えば、業の契約は自力本願であり、恵みの契約は他力本願です。

アダムは最初に創造されたときに、自力本願で律法を守ることができた。罪がなかったわけですから。

しかし、堕落してからは、アダムはもはや自力では助からない。

キリストがどうしても必要になった。

だから、堕落以降の契約は、すべて他力本願です。

ディスペンセーショナリズムは、モーセ契約を自力本願のように考えているが、間違い。

神がイスラエルに「律法を守れ」と言われたのは、「自力で救われなさい」という意味ではなく、「神の民としてふさわしく歩みなさい」という意味です。

だから、「失敗した場合には、犠牲を捧げて赦しを請いなさい」との出口もあった。

悔い改めるならば、神の民として留まり続けることができた。

しかし、アダム契約の場合には、そのような「セーフティネット」はなかった。

「あなたが失敗するならば、あなたは死ぬ」と。

アダムにつきつけられていたのは、天国か地獄かの2つに一つ。

しかし、恵みの契約の中にいる我々は、セーフティネットがある。

どんなに失敗しても、キリストの犠牲によって罪の責任を代わりにとってもらえる。

だから、悔い改めによって、いつも真っ白なところからスタートできる。

これが「七年目の負債帳消し」や「安息日」制度の意味です。

イスラエル人は、律法によって、7年目の安息年に負債を帳消しにされた。

安息日において、7日に1日体や心の疲れをすべて取ることができる。

再スタートを切ることができる。

だから、イスラエルにとって奴隷状態はなかった。7年ごとに解放されるから。

十分の一以上の税金は取られなかった。なぜならば、十分の一以上取られることは、奴隷であり、私有財産の否定だから。

イスラエルは、働いたら働いた分を受け取れた。

しかし、異邦人の世界では、十分の一以上、いや全生涯を他人の命令のために暮らし、私有を一切否定されることもあった。

だから、社会主義は、現代における奴隷制度なのです。

自分が稼いだものを自分の裁量によって処分できない。

この世界全体は、すでにエデンの園になっています。

キリストが律法のすべてを守って完成されたので、神はキリストにご褒美として、全世界を賜った。

キリストは全世界を所有された。

だから、今から2000年前に世界はキリストの所有となり、世界はそれゆえ、アダムが失敗した世界の所有を回復したのです。

それゆえ、今の世界において、奴隷制度はふさわしくない。

世界はエデンの園であるから、エデンの園らしくならなければならない。

だから、政治を変える必要がある。

サタンは、我々に対して「世界がエデンの園になった?嘘だ。まだ世界は我々のものだ。」と言っている。

それをディスペンセーショナリズムのプレ・ミレという形で吹き込んでいる。

「再臨があるまでの間は、まだサタンの世界だ」と言う。

しかし、聖書にそのような記述はない。

むしろ、キリストは、「私はすでに世界を征服した」と宣言された。

「私は世に勝った」という「勝った」という言葉は原語では「征服した(ネニケーカ)」という意味。しかも、現在その状態が継続していることを強調する完了形が使われている。

さらに、「天地において一切の権威が与えられた」とも宣言された。

法的に世界はキリストの所有になった。

法的に世界は、エデンの園になった。

これが聖書が一貫して主張しているところです。

「だから、あなたがたは行ってすべての国民を弟子としなさい」と。

エデンの園になったのだから、エデンの園らしくなるように働きかけなさいと。

アメリカのアラバマ州で、荒れ果てた日本庭園を見た。

管理する人がいないので、めちゃくちゃになっていた。

本来なら水でいっぱいになっている池に水がなかった。

今の世界は、このような状態です。

本来ならば美しい地球が、クリスチャンが管理しないため、荒れ果てている。

戦争がやまない。

サタンにまかせているからです。

サタンの手から管理を奪い取らねばならない。

サタンは法的に何の権利もないのです。

十字架においてサタンは敗北し、支配の座を追われた。

彼らは、依然としてノンクリスチャンの王です。

しかし、クリスチャンの王ではない。

そして、クリスチャンの王は、ノンクリスチャンの王をすでに法的に縛った。


神は、キリストにおいて、すべての支配と権威の武装を解除してさらしものとし、彼らを捕虜として凱旋の行列に加えられました。(コロサイ2・15)

サタンは武装解除されて、捕虜とされて、凱旋の行列の中でうなだれて歩いている。

それにもかかわらず、なぜサタンが暴れているような印象を受けるかというと、クリスチャンが幻惑されているからです。

クリスチャンは、自分の立場を小さく見積もるように誘導された。

教育が悪かった。

もう一度言います。

教育が悪かった。

真理が正しく伝えられてこなかった。

ノストラダムスの影響も、ハルマゲドンも、サタンがこけ脅かしのために作り出した虚構です。

聖書全体と調和しない終末論でクリスチャンは誤導されてきた。

そういうことです。

我々は教育を回復し、世界の現状とクリスチャンの立場をきちんと教えなければならない。

そのような教育がない限り、サタンは我々を幻惑しつづけるでしょう。

 

 

2009年12月15日

 

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