契約は必ず実を結ぶ


三井家と関係がある三囲神社(東京都墨田区向島)には、三柱鳥居がある。この鳥居、井戸を囲いこむように建っている。

看板には、「三井邸より移す。原型は京都太秦 木島神社にある」と記されているという。
http://blogs.yahoo.co.jp/mastardpie/17285766.html

京都太秦は、秦氏の本拠地。秦氏と三柱鳥居は深い関係がある。

この鳥居の構造は、秦氏がキリスト教に関して、深い神学的な知識を持っていたことを示している。

三柱鳥居は、三位一体を表す。

三位の神は、互いに契約を結んで一つとなり、一人の神となる。

三柱鳥居の中に井戸があるのは、契約が祝福を生むことを象徴していると思われる。聖書において井戸や泉は、祝福の象徴である。

契約は、実を結ぶ。

イエスは、次のように言われた。


わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。
わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。 (ヨハネ15・4-5)

ここで、「人がわたしにとどまり」というのは、契約的合一を表している。

我々は信仰告白と洗礼によって教会に加わり、キリストにつながる。キリストの体の細胞になる。

「そういう人は多くの実を結びます」は、契約的合一によって実が生じるという意味である。契約は、不可避的に実を結ぶ。

キリストと契約を結ぶと、良い実を結ぶが、悪魔と契約を結ぶと、悪魔の実を結ぶ。

どういう実を結んでいるか見ることによって、その人が本当は誰と契約を結んでいるかがわかる。

同様に、良い木はみな良い実を結ぶが、悪い木は悪い実を結びます。
良い木が悪い実をならせることはできないし、また、悪い木が良い実をならせることもできません。(マタイ7・17-18)

夫婦は結婚契約を結んで一体になり、子供が生まれる。

性行為は、契約的行為である。存在論的多が、契約的一になる儀式である。

だから、姦淫は、悪霊礼拝の象徴である。

悪霊との合一を象徴する。

良い意味でも悪い意味でも、契約は実を結ぶのである。

 

 

2008年7月26日

 

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