一書の人?
聖書だけが啓示ならば、一般啓示はどうする?
「蟻を見よ。蟻を見て、勤勉を学べ。怠惰を戒めよ。」と聖書が言っているが、これをどう解釈するか?
「天は神の栄光を語り継ぐ」という御言葉はどう解釈するか?
特別啓示と一般啓示の区別もつかないのか?
今のクリスチャンは!
こんな基本的なことも教えてもらっていないのか?
何をやっているのだ、牧師は。
正統と異端の区別を教えていないから、こちらが当たり前のことを言っても疑われるのだ。
「私は聖書だけでけっこう。一書の人になる。」なんていうとんでもないクリスチャンが出てくる。
クリスチャンは、科学を学べ。知識を広めよ。一書の人なんて詭弁だ。
格好つけているだけだ。不健全だ。
いいかね。聖書のどこに「聖書だけでよい」なんて書いてあるかね。
「聖書だけが啓示だ」なんてどこに書いてあるかね。
神は、被造物を通じてご自身を啓示されるとあるじゃないか。
被造物は神を示している。自分の作品が自分について語るように、神の被造物は神を語っている。
この教えのどこが間違っているかね。
我々は、聖書に関する無知はもちろんのこと、一般的な自然や社会に関する知識もつけなければならない。
なぜならば、我々は「統治者」だから。
統治には対象に対する知識が不可欠だ。
土木に関して無知な人間が現場監督になれないだろう。
違いますか。
同じように、世界に関する知識をつけない人間は、統治者としてふさわしくない。
「一書の人」とは、「無能の人」である。
もっともこの世から隠遁した世捨て人なら別だが。
2008年7月4日
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