格差=貧困化か?


今格差を悪者扱いしている人々の間違いは、

「格差=貧困化」という図式を描いていることにある。これは幻想である。

格差=貧困化ではない。

何度も出しているたとえであるが、部屋全体を温かくするには、ストーブに火をつけて、それを燃え上がらせることが必要だ。

一部を熱くすることによって、全体が温かくなる。

これと同じように、経済も一部が活性化することによって、その国全体の経済も活性化するのである。

共産党や社民党などはよく、「大企業ばかりが儲かっていて、中小は大変な状態にある。大企業にもっと税負担させるべきだ。」と言うが、大企業が潤うことによって、その下請けにも仕事が回り、全体が潤うのである。

せっかく燃え上がろうとしている企業に税負担という冷水をぶっかけるならば、それに関連する企業にも仕事が回らなくなり、全体が沈滞する。

我々は、あまりにもマルクス主義の「もぐら叩き主義」に慣れ親しんできたので、突出する者を許せなくなってしまったのである。

「突出した者=一人勝ち=不公平=つぶせ」というような反応が常識化している。

市場は有機体なのだから、一人勝ちなんてありえない。

日本人に共通するもう一つの幻想は、「税負担=社会貢献」だ。

本当に、税金を多く払えば払うほど、社会に貢献することになるのだろうか。

違う。

もし、税金を運用する人々(=官)が、優れた投資対象に投資し、費用対効果の優れた企業や人々に仕事を依頼し、税収の増大に伴って社会への利益還元が進むなら、この図式が成立する。

しかし、実際は、官は社会への利益還元よりも、自分の退職後や老後の心配を優先することのほうが多く、必ずしも有効な投資を行っていないというのが実情なのだから、「税金が増える=さらなる社会貢献」という図式は成立しない。

忘れてはならないのは、「税金は一種の投資だ」ということである。

投資の対象として、我々は、民と官のどちらを選ぶだろうか。

どちらが効率よく働き、どちらが自分のお金を増やしてくれると期待できるだろうか。

もちろん民だろう。

官は投資の対象としては劣悪である。国鉄や道路公団、電電公社を見れば明らかだ。

だから、税金は少なければ少ないほどいいのだ。

減税をして、その分を民間に流し、彼らに投資しよう。

福祉だって同じである。官と民、どちらの福祉事業が優れているか?

競争によって切磋琢磨し、ボケボケしているとすぐに倒産の憂き目にあう恐れのある民間のほうがより安く、より丁寧なサービスを提供してくれるのは火を見るより明らかだ。

我々はマルクス主義教育によって埋め込まれた幻想を一日も早く捨てる必要がある。

 

 

2006年2月4日

 

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