偽りの人命尊重2
命を救うために、正義を曲げる
これは、今日の日本を深く腐らせている間違った原理である。
乗客を救うためにテロリストを釈放する。
釈放されたテロリストは、さらに多くの人を殺す。
そうしたら、その乗客よりも多くの人々が迷惑をこうむる。
テロリストと交渉してはならない。
イラクで人質になった日本人を救うために、政府が何億円も出す。
その何億円によって、テロリストたちは、さらに多くの人を殺す。
その殺された人は、日本の政府によって殺されたようなものだ。
こういう前例を作るとどうなるか。
「やったもん勝ち」なのだ。
悪いことをやったほうが勝つ。
こういうことを許す社会は、堕落した社会であり、秩序を崩壊させているのだ。
「突入せよ!」は大変興味深い映画だ。後藤田が、佐々に対して、「人命を最優先するように。犯人を生け捕りにしろ。」との至上命令を出す。
この至上命令のゆえに、スナイパーで一発でしとめることができる過激派を倒せない。
現場の機動隊員は、犯人生け捕りのために攻撃手段を制限されているから次々と狙撃によって殺されていく。
犯罪者の命を救うために、無辜の善良なしかも忠実な市民が殺されていく。
倒錯の世界である。
バスハイジャック事件で、犯人の若者が牛刀を持って、乗客を脅かしている。
射撃によって一発で倒せるが、生け捕りが至上命令なので殺せない。
そのうち、その少年は、次々と乗客を襲う。ある女性は、口から耳まで切りつけられ顔に縫い目が残った。
それでも殺さない。
この国は一体誰のために存在するのか?
遵法的な市民のためか?それとも、犯罪者のためか?
正義よりも命を重んじると、こうやって社会は次々と正しい者、正義、法を守る者、領土、秩序を失っていく。
いじめも同じ。
学校が、犯罪者に加担している。
犯罪者のかたを持ち、いじめられている正しい生徒を虐待する。
だから、いい子ほどPTSDを持ち、自殺し、苦しむ。
倒錯の世界。
ヒューマニズムの世界とは、このように価値が逆転する世界だ。
聖書の基準を適用して、この倒錯を元通りにせよ。
2010年9月26日
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