なぜ人間でしかない者が勝利できるのか?
ディスペンセーショナリズムは、「地上を変えるなんて、人間にはできません。だからそんな活動は無駄です。」という。
たしかにそうだ。人間にはできない。
人間だけでサタンの王国を粉砕することなど不可能だ。
しかし、聖書は「人間でやりなさい」なんて言っていない。
まず我々は、この「地上統治」の命令は、キリストに与えられたということを理解すべきだ。
キリストは、復活して「完全な人間」になられた。
彼には永遠の体があり、完全な権威も与えられている。
「私には天においても、地においても一切の権威が与えられています。」と宣言された。
そして、我々は、イエスにつく者たちである。我々はイエスの体の一部である。
だから、我々は、イエスと同じ権威を持つ。
我々の活動は、イエスの活動である。
イエスは、十字架と復活において、完全な人間になられただけではなく、「サタンに勝利された」。
「私はすでに世に勝った」と宣言された。
また、「敵を凱旋の行列に加え」られた。
サタンはすでに敗軍の将である。
サタンの王国はすでに敗北している。
それゆえ、我々の戦いは、「すでに敗北している国への戦い」なのである。
つまり、掃討作戦である。
その政府が完全に敗北宣言している国において抵抗するゲリラを掃討しているようなものである。
だから、我々は勝利できる。
サタンの陰謀がどのようなものであれ、ロスチャイルドやロックフェラーがどのように強大な力を持っていようと、我々に勝てるわけがない。
我々の王は、すでに世界の最高権力者であり、サタンに勝利した完全な神・人である。
どうして負けることがあるだろうか。
このことは我々の人生についても言える。
人生を主に委ねて、すべてを神にお任せし、自分の判断で生きるのではなく、行動指針を主の御言葉に委ねる人々は、必ず勝利の人生を歩むことができる。
今は苦しいかもしれないが、必ず最後に勝利する。
「いや、そのようなことを確信できません」というだろうか。
その人は、認識の基盤を聖書にではなく、自分に置いている。
だから、その人は、神になったのである。
本当の神の意見を差し置いて、自分の意見を優先する人が成功するなどありえない。
その人は、自分を偶像としているので、力をもらえない。
偶像である自分を捨てなさい!
判断を御言葉に委ね、自分の知恵を捨てなさい!
そうすれば、必ず人生の勝利者になれる。
2007年5月17日
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