キリスト教は排他的?4


キリスト教の目的は、「万物の調和」である。

キリスト教では、罪によって万物に不調和が生じた。

神と人間、神と自然、人間と人間、人間と自然の間に不調和が生じた。

互いに敵対関係になった。

それを一つに和解させ、調和させることが、「地を従えよ」の意味である。

クリスチャンは、十字架を信じるときに、まず神との平和を得る。


ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。 (ローマ5・1)

ついで、クリスチャンは、人との間に平和を作る。

あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。(ローマ12・18)

クリスチャンが福音を伝えるときに、万物において達成されたキリストの和解の御業が次第に万物に適用され、具体化されていく。

その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。(コロサイ1・20)

これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。(2コリント5・18)

こうして世界は徐々に回復し、万物が神と調和するようになっていく。

だから、世界はクリスチャンを必要としている。

クリスチャンが増えることによって、世界の回復、調和は進む。

被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現われを待ち望んでいるのです。
それは、被造物が虚無に服したのが自分の意志ではなく、服従させた方によるのであって、望みがあるからです。
被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。
私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。(ローマ8・19-22)

キリスト教が搾取の宗教であるなどという誤解がこれで解けただろうか。

 

 

2009年11月25日

 

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