カルケドン・レポート第28号(1967年12月1日) by R・J・ラッシュドゥーニー 3
この状況において、敬虔な気持ちで願うべき災いとは、「愚か者だけではなく、これらのならず者と寄生虫の頭上にも下る神の御裁き」である。いったん破壊される以外に、現在の体制が本当に変わることはない。我々が必要としているのは、神の裁きによる崩壊である。(*)
万物を支配される神はたえず歴史に関与しておられる。神こそが、歴史を作り、歴史の過程を予定されたお方である。神は、我々の主イエス・キリストの受肉において、歴史に干渉する際に発せられるご自身のパワーと歴史への深い御関心を我々に啓示された。
「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。今より、とこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。」(イザヤ9・6、7)
キリストは、没収する者から、その権力を没収されるだろう。経済法を含むすべての法律は、キリストの創造と任職の一部である。キリストの法に違反する者はみな敗北する。このストーリーは、宇宙の諸属性のうちにすでに書き込まれているのである。自然的にも超自然的にも、キリストの御支配は、悪を罰するために働く。
安易な融資に頼って生活する人々は、その安易な融資によって滅びるだろう。盗む者たちは、その全財産を誰かに奪われるだろう。「しかし、主を待ち望む者は、新たに力を受けるだろう。」(イザヤ40・31)
我々は、危機的な時代に直面している。しかし、それに直面しているのは我々だけではない。これに関して誤解してはならない。問題は、宗教的なのである。社会主義者はみな金(gold)に反対する。というのも、彼らは神も自由も信じていないからだ。金と銀は、独立した富、自然の富、神が創造された富を表している。
紙幣は、国家が作った「富」であり、国家によって破壊されることがある。政府の命令によって、紙幣の価値が変わったり、ある紙幣が廃止されたり、別のものと置き換えられたりすることもよくある。レーニンがはっきりと述べたように、紙幣(つまり、不換紙幣)を完全管理せずに、社会を完全管理することは不可能である。
金(gold)の富は、独立した富、管理されていない富を象徴する。だから、社会主義は金本位制を廃止しようとするのである。――人間の唯一の「自由」とは、国家が認めた範囲内の自由でなければならない。――これは、「牢獄の部屋の中を自由に動き回ることができる」という囚人の自由に似ている。
最近、合衆国財務省の役人たちが、「金には、合衆国が与えた以外の実質的な価格など存在しない」と語った。彼らは、合衆国の金の価格を1オンス35ドルから6ドルに下げることによって、金の保有者を「破産」させようとした。このような行為は、米ドルの価値をゼロに落とすことを意味するから、かえって金の価格をそれだけ高騰させることになる。合衆国財務省の役人は金を信じていない。というのも、彼らは自由を信じていないからだ。このような人々は、自分は神よりも賢いと思っている。
彼らは、自由が機能するということを本気にしていない。彼らが自分で作り出し完全支配しているもの、つまり、紙でできた「金(gold)」以外は機能しないと信じているのは、ヒューマニズムに基づく支配のみが人類の希望だと考えているからである。
それゆえ、問題は宗教的なのである。人間の秩序か、それとも、神の秩序か? このような戦いの結果は明らかである。だから、我々は未来を確信している。この戦いは主の戦いなのである。
(*)
訳注:ここで筆者が述べている破壊とは、あくまでも神が歴史の中で様々な方法で起こされる超自然的な審判的体制崩壊(例:ローマ帝国や大日本帝国、ソビエト連邦などの崩壊)であって、マルクス主義が主張するような人為的な革命やクーデターのようなものではない。聖書は、神が立てられた秩序、ヒエラルキー、命令系統を尊重せよ、と教えているので、革命やクーデターは違法である。
2006年2月18日
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