フルプレテリズムの根本的な間違い
フルプレテリズムの根本的な間違いは、法的事実と実際的事実を混同しているところにある。
聖書では、御国は法的成就と実際的成就の2段階があると述べられている。
それは、結婚制度に象徴されている。
イスラエルの結婚制度は2段階であった。まず同居なしの結婚がある。ヨセフとマリヤは結婚していたが、同居していなかった。これは今日の婚約とは違う。
実際に彼らは結婚関係にあった。イエスはこの時期に生まれた。だから、イエスは私生児ではなく、合法的な嫡子として生まれた。
法的な結婚関係にありながら、実際的には同居しておらず肉体関係もない時期の後に、実際の同居が始まる。
この結婚制度は、万物の回復の秩序を表している。
万物が回復し、神の秩序の中に入るには2段階が必要だ。
つまり、法的回復と、実際的回復。
イエスが十字架につかれ、昇天され、70年に正式に王国は発足してから、全世界は「法的に」回復した。
ある意味において旧約預言はことごとく成就した。世界は神の御国となり、イエス・キリストが世界の王となり、クリスチャンも世界の支配者になった。
しかし、これはあくまでも法的事実であって、実際的事実ではない。
実際的に世界が神の御国になるには、宣教と教育、訓練が必要だ。
今の歴史は、世界の回復の過程である。
世界の諸民族が弟子化され、神を中心とした生活を実際に築くまでこの過程は続く。
フルプレテリズムは、この「法的回復」を実際的にも回復したと解釈したのだ。
だから、まったく無理な考えになってしまった。
彼らはもうすでに「実際に」大宣教命令が達成され、世界の諸民族がすでに弟子化されたと述べる。
しかし、実際はけっしてそんなものではない。今の世界が弟子化された世界とは到底言えない。
民族単位でキリスト教化されている国々はわずかである。いや、むしろ共産革命によって、世界は赤化されている。
学問の世界は進化論や文化相対主義によってヒューマニズム化されている。
これで完成とはとても言えない。もし「これで完成だ」というならば、いったいキリスト教とは何か、無意味じゃないか、ということになるだろう。
ナンセンスである。
だから、法的と実際的と混同してはならないのだ。
法的に我々は王であり、法的に世界は御国である。
だから、サタンには支配権はなく、我々が掃討作戦をすれば、彼らを駆逐できる。
我々の戦いの保証は、法的事実にある。
自分が家主で、アパートの住民が立ち退かない場合、法的措置を講じて強制的に排除することが可能だが、自分が家主でなければ、それはできない。
我々は、世界の所有者として法的措置を講じることができる。つまり、伝道である。
神の御言葉の剣という武器をもって戦いをしかけるならば、この世界にしぶとくしがみついているサタンを駆逐することができる。
こういった理解が聖書的なのである。
みなさん、フルプレテリズムの空想に騙されないようにしましょう。
2008年2月6日
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