日本は韓国人が作った国か?


(1)
韓国人が、日本の天皇家は、もともと百済の人々であり、それゆえ、韓国人であると言っている。

しかし、日本にやってきた百済の人々は、夫余の出身であることが明らかである。


『隋書』は、百済王の祖先も、高句麗から出て、夫余の人達が、それに仕えた。と記している。
『旧唐書』は、「百済国は、もともとは、夫余の種族が建てた国である」と記す。
『新唐書』も、「百済は夫余の別種」と記す。
http://toron.chu.jp/synd/jpnhan/kodaigo.html

百済を建てた温祚王は高句麗の始祖、朱蒙の息子であり、朱蒙はもともと東扶余にいた。
http://asia.chu.jp/rekisi/rekisi-3ken-shinwa.html

さて、この夫余の人々は、もともとバイカル湖の辺りにおり、ユーラシア大陸を横断的に移動していた騎馬民族であるらしい。
http://get-astep-ahead.seesaa.net/article/104782900.html

Ewha Academy of Sciencesの主任教授Shin Yong-haは、夫余族の一部が西はバルカン半島、東は日本にまで移動した可能性があると述べた。
http://english.donga.com/srv/service.php3?bicode=130000&biid=2007073191788

江上波夫氏の『騎馬民族国家』のあとがき(1984年4月記)によると、大和朝廷の創始は、この夫余によるという。

『本書が中公新書の一冊として出版されてからすでに十七年近くなる。その期間中に、私が本書で展開した試論--日本における統 一国家の出現と大和朝廷の創始が、東北アジアの夫余系騎馬民族 の辰王朝によって、四世紀末ないし五世紀前半ごろに達成された という推論が、予期しないいろいろな新資料の発見によって、い よいよ全面的に実証される段階に立つことになった。このことは 私にとって予想外かつ望外の快事と言うべきものである。』

遺伝学的に見ても、日本人がバイカル湖辺りの出身であることが明らかだ。

具体的には、主にバイカル湖周辺にいた夫余系騎馬民族である。 近年の研究では、生物学的に民族のルーツを探る「Gm遺伝子」の分析により、日本人の大部分のルーツがバイカル湖あたりにいた騎馬民族だという。
http://get-astep-ahead.seesaa.net/article/104782900.html

以上から、天皇家のルーツが、韓国人というのは間違いであることが分かる。

(2)
さて、この夫余族を調べていくと面白いことが分かる。

夫余の始祖の名前は「解夫婁」といい、古代朝鮮語で「ヘブル」と読んだ。

国史高麗本記によると、次のように書かれている。 始祖、東明王(ドンミョンワン)は、 姓は高(コウ)氏、名は朱蒙(ジュモン)だ。 北扶餘の王、解夫婁(ヘブル)が東扶餘から分かれ、 解夫婁が死ぬと、金蛙(クマ)が王位をついだ
http://blogs.yahoo.co.jp/candy211jp30000/5568925.html

この解夫婁という人物、最近NHKが放映した「太王四神記」にも登場する。
http://d.hatena.ne.jp/nmomose/20080331/nhk

ヘブルというと、ヘブライ人を連想させる。はたして、夫余はヘブライ=ユダヤと関係があったのだろうか。

解夫婁の伝説を見ると興味深い。

解夫婁王は老いて子が無く嗣子を求めていた。ある日鯤淵(こんえん、地名)の池で、王の乗っていた馬が岩を見て立ち止まり涙を流した。王は不思議に思い、その岩を動かしてみると金色の蛙の姿をした子供がいた。王は天が私に嗣子を与えてくれたと思い、名を金蛙と名付け太子とした。
その後、宰相の阿蘭弗が「天の神が私に降臨して、『吾が子孫がいずれ国を作るだろう。この地から離れなさい。東海に迦葉原(かはばる、かしょうげん)という地がある。そこは五穀が良く実る。ここに都を遷すと良いだろう。』と言いました。」と解夫婁に進言し、王は都を迦葉原の地に遷都し国名を東扶余とした。
このようにして扶余の都から元の王である解夫婁がなくなった後、天帝の子を自称する解慕漱(かいぼそう、へ・モス)がどこからか現れて、都を開いて扶余王となった。解慕漱がなくなった後、金蛙は扶余王となった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E8%9B%99%E7%8E%8B

この神話に出てくる名前、どうもセム系である。

解夫婁=ヘブルはもちろんのこと、
阿蘭弗=アラブ、
解慕漱=ヘモス
鯤淵=コンエン=コーエンか?
迦葉原=迦波羅=カバラか?

どうも私には、この物語、セム系の民族が作った話に思える。NHKの太王四神記では、この王家の王子が復活する話が含まれているという。

さらに興味深いのは、この神話は日本の建国を指しているのではないか、ということだ。

東海を日本海と読むと(韓国で日本海は東海である)、東海にある五穀が良く実る迦葉原は、日本と読める。となると、日本は東夫余国ということになる。

夫余は、芙蓉と通じるのかもしれない。芙蓉峰は、富士山の美称である。芙蓉グループには、みずほ銀行があり、みずほ銀行はもともと富士銀行であった。「みずほ」は以前述べたように、ヘブライ語の「ミズラフ(東)」と対応していることを考えあわせると、やはり、この解夫婁王の物語は、日本の建国物語と見てよいように思える。

 

 

2008年12月14日

 

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