信賞必罰の原理が働かないような社会は異常である


「戦後日本は、均所得格差が小さい均質な社会を作ることに成功した。日本の中流社会が破壊されたことは残念だ。」

これは、幻想である。

仮にできたとしても、それは病的である。

なぜか?

「頑張った人を罰した」からだ。

所得格差をなくし、均質な社会を作るためには、能力のある人間、金を稼ぐ力のある人間に犠牲を強いてきたのだ。

頑張った人を罰することなしに均質な社会は絶対に生まれない。

ある学校で、成績が優秀な生徒の点数をそうでない生徒の点数に加算していったらどうなるか。

優秀な生徒は、次第にやる気をなくするか、他校に転校するだろう。

自分を正当に評価してくれる社会のほうに移動するだろう。

「格差があってはならない。結果は平等であるべきだ。」という発想は異常であり、病的である。

徒競走をして同時にゴールさせる教育は、異常であり、病的であり、現実をゆがめて理解させる教育である。

「え〜!力のある人が、力のない人のために働くのがどうしておかしいのですか?」と尋ねるかもしれない。

「力のある人は自発的な意思でそれをやるべきである」。

金持ちは、自分の自由意思によって自分の財産を自由に使うべきだ。

そして、それが貧困者のために使うのは、強制であってはならない。そうしないと、努力を冒涜することになる。

実際、今の日本は、懸命に働いている人々よりも、健康なのに生活保護をもらっている人のほうが裕福であるというようなゆがんだ社会になっている。

福祉税はまったく必要ないといっているのではない。

福祉税は上限10パーセントとし、官僚の手を通さないで分配されるべきである。

だから税と呼べるのかどうか問題があるが。

この10パーセントを土台に、貧困者の問題、社会保険、健康保険、教育、その他の問題を考える。

もちろん、持てる者は、ノブレス・オブリジ(高い身分に伴う道義上の義務)により、持たざる者に富を自発的に分配すべき。

共産主義は、「持てる者も持たざる者も平等にする」とやるから、社会がめちゃくちゃになる。

努力して裕福な生活がしたいという願望をあきらめさせる。

クリスチャンは、このような共産主義思想に侵されているから、聖書的福祉と共産主義の福祉を混同している。

富を均等に分配することによって、神の国は絶対に進展しない。

神の国が進展するには、私有財産権の保護が絶対に必要である。

なぜならば、神の御心は、御言葉に忠実な人々が経済的に祝福されて、その精神を継承する子孫に受け継がせ、長期的に神の支配が発展することにあるからだ。

累進課税や相続税によって、神の国は破壊され、サタンによる支配が進行する。

中国共産党政権の中国のように、地上は地獄と化す。

おわかりだろうか。

神の国が発展するためには、格差は不可避であると同時に、なければならない。

信賞必罰の原理が働かないような社会は異常であり、そのような社会において成立した裕福な中流階級というものは、病的であり、異常な文化を創り出す。

 

 

2010年11月19日

 

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