再建主義批判のサイト(米)への応答14


<RNCI>

再建された社会は、反対者や異端者を、法と社会に逆らう犯罪者として扱うだろう。さらに、その特徴は:私有財産権、リベタリアニズムに近い自由市場経済、借金の厳しい制限、30年の抵当の廃止、金本位制の貨幣制度、社会福祉を支える(税金制度に代わる)十分の一制度、多数の犯罪者を刑務所に入れるよりも償いをさせる、罪の償いのため(または、経済的安定のため)の自発的奴隷制度にある(Excerpted and/or adapted from the 12/90 & 1/91 issues of Israel My Glory.)。

<tomi>

反対者を犯罪者として扱うかどうかは、その反対の内容を見なければならない。聖書の規範に明らかに反抗する人間をそのように扱うことは可能であるが、為政者が判断を間違っている場合があるから一概に言えない。

むしろその犯罪者のほうが聖書に従っている場合がある。イエスの裁判がその例である。だから、我々は、「体制に反対する=犯罪者」と考えてはならない。

民主主義に慣らされている現代人は、「思想だけで重罪人扱いされるなんて!」と感じるが、思想は強烈な影響力がある。どの政府であっても、思想犯に対しては厳しい刑罰が下される。なぜならば、思想犯は、その社会の根本を破壊するからである。短期的に見れば効果は薄いが、長期的に見れば、その効果は絶大である。

ただし、このような社会になるには、我々はまず、人々が自ら進んでクリスチャンになり、聖書の命令を生活のあらゆる分野に適用したいと願う人々が社会の圧倒的多数を構成するようにならなければならない。

社会全体がそのような体制を望む日が必ずくる。聖書は、そのように宣言している。神はご自身の計画を完全に成就する力があるので、全世界がキリストを唯一の王としてあがめる日が必ずやってくる。それがいつであるかは分からないが、必ずくる。これは、予定された事実である。

我々がここで述べている刑罰観は、そのような未来の話である。「なぜそんな遠い未来の話をするのか?」と言うかもしれないが、「我々は、神の計画の全体像を知る必要があるから」だ。

登山は、山頂を目指すという大きな目標があるからこそ、細かな歩みが成立する。この目標なしで歩くのは、単なるそぞろ歩きか、遭難である。

我々は、人生の小さな目標だけではなく、大きな目標を知ってはじめて、自分の個人的な目標を正しく定めることができる。神が人類全体に対して何を望んでおられるのか、を知って、はじめて我々の毎日の生活、教会生活、職業生活、家族生活が決まってくる。

 

 

2006年2月24日

 

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