洗脳からの解放は近い


クリスチャンになって、しかも、牧師などになっても、サタンの実在や実際の活動を疑っている人間がいるというのはまことに驚くべきことである。

実際に、我々が神のために働くならば、どうしたって「意志をもつ人格的存在」から攻撃を受けざるを得ない。

攻撃を受けたことがないという人は、

(1)御国のために戦ったことがないのである。

もしくは、

(2)攻撃を受けてもそれを自然現象と解釈しているからである。


(1)の場合、クリスチャンとしては致命的である。

「確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。」(2テモテ3・12)

迫害を受けたことがないクリスチャンがいるならば、その人は、敬虔に生きようと願っていないのである。

本当に自分が救われているか、反省してみる必要があるだろう。

(2)

自分に向けられた攻撃を「霊的」なものと解釈できていない人が多い。

教会活動をやれば、必ずといってよいほど、サタンから回し者が送られてくる。ボケボケしていると、教会をめちゃくちゃに荒らされる。

牧師や伝道師などになろうと決意すると、きまって肉親や親戚、親友などから「愛の忠告」がある。

たしかに心配してくれるのはありがたいが、しかし、背後にサタンが隠れていることが多い。

イエスが十字架につくと預言されたときに、ペテロが「そんなことあってはなりません」と言った。イエスは彼の言葉の背後にサタンがいることを悟り、「下がれ、サタン。あなたは人間のことを考えている。」と一喝された。

御国の働きを決意すると、必ずこういった親切な誘惑がやってくる。

しかし、霊的な知識が乏しい人は、これがサタンの攻撃だと気づかない。

改革派という聖書信仰の教派でも、サタンとか聖霊とか言うのを敬遠する傾向がある。

これは、逆の意味における誘惑に陥ったためである。霊的な世界からキリスト教を分離するなど、絶対にあってはならないことである。

サタンの主要な攻撃は、「自分を隠す」ことにあるから。

サタンは、キリスト教の諸教派の中で自分を隠すことに成功してきた。サタンについて語る人々を、「オカルトがかっている」と軽蔑させることに成功してきた。

自分を隠すならば、自分の活動はやりやすくなる。

スパイの第一の仕事は、自分の存在を集団の中において消すことである。

自分を普通の人と思わせることである。そうすれば、気づかれずに仕事ができる。

教会の中に入って、牧師になり、信頼を勝ち取り、教派のトップにでも立つことができれば、バンバンザイである。

教派全体の骨を抜き、御国の活動を完全に停止できる。

実は、ディスペンセーショナリズムの悪霊は、世界中の福音的教会においてこのことに成功した。

自分を正統派として売り込むことに成功し、それをあまたの教会の主張として定着させることに成功した。

福音主義、聖書信仰の教会において、もはや「終末が近い」ことを疑う人々は皆無だ。

サタンは見事に偽りをクリスチャンの中に吹き込むことに成功した。

福音的クリスチャンは、自分が終末カルトになったことにまったく気づいていない。

恐るべき現状である。

そして、こう語っている我々のほうが聖書から外れているなんて考えている。

ここまで洗脳が進み、敵によって徹底して骨を抜かれてしまったのである。

しかし、ディスペンセーショナリズムの中心部では洗脳が解除されつつある。主要神学校は、ディスペンセーショナリズムを捨てつつある。

この動きが末端の教会にまで波及するにはまだ時間がかかるだろう。

しかし、神は選びの民がだまされつづけていることを黙認はされない。

もう一度、御国の側は、サタンの王国に対して攻撃を開始するだろう。

ほとんどあらゆる領域においてサタンの洗脳にがんじがらめに縛られている世界は、もう一度正気に戻るだろう。

 

 

2006年6月3日

 

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