原理からものを考えられる人々を獲得すべきだ
これは、けっして学歴差別ではないと考えていただきたい。
経験上感じることだが、だいたい90%の人々は、誰かに指導してもらえないと考え方を定めることができない。
彼らは権威によって教えられない限り、自分の意見を持つことができない。
つまり、悪いだます人間が権威を持つと、90%の人々はだまされ、まともな意見を持っている人間を迫害する側に回る。
自分の頭で論理的に物事を判断し、権威に無関係に、「もっぱら真理か否かという基準で」考えることができる人は、10%にも満たない。
だから、世論を形成する上で重要なのは、この10%未満の人々にどう訴えるかだ。
この10%未満の人々であっても、哲学や思想のレベルにまで掘り下げて勉強している人々はごく少数だ。
おそらく1−2%だろう。
この1−2%の人々は、指導的な立場にいる残りの8%の人々に影響を与えられる。
1−2%の人々は、主に哲学や思想を扱う人々、学者、理論家だ。
8%の人々は主に学者や政治家、医者、弁護士などだ。
政治家や医者、弁護士らの社会の中枢の職業の人々でも、原理から考える力のある実力のある人々は、1−2%に入るだろう。
ただし、たとえこれらの人々であっても、問題を正しく考えるためには、指導が必要である。
誰かが正しい道を示してくれる必要がある。
私は、神学者は、この道を扱う人々であると考える。だから、もっとも尊い重要な仕事であり、社会を導く上で重大な責任を負っていると思う。
朝まで生テレビに出て討論している人々は、たしかに1−2%の人々だが、しかし、日本には彼らを正しく指導できる人がいない。
神学者が彼らに影響を与えられないからだ。
今、彼らに影響を与えているのは、ヒューマニズムの神学者である。つまり、大学で思想を扱っている無神論の学者たちだ。経済学者、法学者、哲学者などだ。
サタンはこれらのヒューマニズムの神学者に間違った思想を植え付けた。
進化論などだ。今の学界で生き残るためには、原理的にものを考えてはならない。ヒューマニズムは欠陥神学なので、原理的に考えるとどうしても行き詰る。だから、今の指導原理は、いずれ崩壊する。
たとえば、ヒューマニズムでは、万物は超越者によって創造されたものではないと考えるから、個物と個物の紐帯を定めることができない。
りんごと人間の味覚がなぜマッチしているか説明できない。
それぞれは、互いに独立して成立したとするわけだから。
子供に「なぜりんごはおいしいのですか?」と聞かれて、クリスチャンならば、「神が人間のために創造されたからだよ」と答えられるが、ヒューマニストは、「ただの偶然だよ」としか答えられない。
さらに「どうして社会にとって役に立たない浮浪者を殺してはならないの?」と聞かれてクリスチャンは「それは、神の似姿・象徴として最高の被造物として創造されたからだよ」と答えられるが、ヒューマニストは「・・・」と黙るしかない。
進化論の前提で言えば、無用の長物は淘汰される以外にはなく、それゆえ、殺すことは社会を浄化することになるわけだから、浮浪者の殺害に「原理的に」反論できない。(もちろん、倫理的・感情的に反論はできるだろう。)
このように、ヒューマニズムの無神論的世界観は欠陥神学であり、社会を長期的に支えることは不可能である。
いずれそれは、聖書の有神論、創造論にとってかわられるだろう。
時間の問題だ。
クリスチャンにとっての主要な働きは、自分の頭で考える力のある人々、そのために召されている人々にいかに影響を与えられるかにかかっている。
社会の中枢の人々に訴えるには、論理である。
矛盾しない考え方である。
巷にあふれる新興宗教は、原理的に何も持っていないので、本当のところ全然脅威ではない。
新興宗教は、原理的にものを考える賜物を与えられていない人々にどのように「よいイメージを与えられるか」に腐心している。
圧倒的に資金を持っているのは、この90%の人々だ。何か大きなことをするには、数を集めなければならないと考えているから、新興宗教のリーダーたちは、TVなどのイメージ戦略を重視する。
今の政治家は、このような新興宗教のアジテーターのレベルにまで戦略を落としているからダメなのだ。
オバマがアメリカで人気があり、選挙で選ばれたという理由で、民主党が彼のポスターを掲げたという。
人気にあやかろうなんでせこいことを考えている限り、万年野党から抜け出せない。
本当に頭のよい人は野党にはいない。
このことはキリスト教にも言える。
キリスト教もいつのまにかイメージ戦略に終始するようになった。
強固な理論武装ができるにもかかわらず、それをしてこなかった。
ヒューマニストが束になってかかってきてもびくともしない理論があるにもかかわらず、彼らはそのような手段を取ってこなかった。
人気取りを考えてきたため、逆に馬鹿にされる対象となってきた。
大衆伝道を「人気取り」と誤解してきた。とくにフラー神学校がこのことを強力に推進してきた。
TVで活躍するタレントなどに証をさせ、安っぽい福音をばら撒いてきた。
完全にターゲットをはずしてきた。的はずれなことをやってきた。
本当に強固な組織をつくり、世の中で支配的な勢力になりたいならば、人気取りなどやめるべきだ。
まずやらなければならないのは、理論武装である。
つまり、教育である。
教育と言っても、まず固めなければならないのは、神学校である。
神学校でも、将来キリスト教界のトップに立つようなきわめて優秀な人々に理論武装させることだ。
今、彼らがなぜそれをしてこなかったかといえば、「理論武装すると、自分がやろうとすることに妨害が入るからだ」。
原理から徹底して考えていくと、キリスト教は今の姿ではだめだということになる。今のキリスト教の神学は、「キリストの王国」ではなく、「人間王国」を目指している。
つまり、今のキリスト教の本質は「私たちはあなたに王になっていただきたくありません」と言ったイエスを十字架につけた人々の神学なのだ。
最終的に我々は「すけべ根性」を捨てる以外にはない。
律法に対する敵意は、「王を変えたい」という心から生じる。
今の神学校のほとんどすべてが、アルミニウス化された本当の動機とは「この地上に神の王国を作りたくない」という気持ちである。
もし神の王国、キリストの支配を作りたいなら、我々に対してこれだけ執拗な攻撃が加えられるはずがないのだ。
我々は、既存のシステムの中で生き残ることを考えるべきではない。
改革はほぼ不可能なレベルにまで達した。
まともなことを主張すれば、猛烈な攻撃を受けるだろう。
イエスの弟子たちが、意図せずにユダヤ教と袂をわかったように、本当のクリスチャンは既存のシステムで生き残ることを目指すよりも、新しい群れを作って、妨害から解放されたところでのびのびとやったほうが効果的だ。
これは私が福音派の教会で経験してきたことだから、はっきりと言える。
まともなことを素直な気持ちから行おうとすると陰謀によって長老会にかけられ、誹謗中傷されて、汚い方法で追い出されるだろう。
古い人々とうまくやろうとすることは時間の無駄である。
霊が働いて、ご乱心をやらかすから、手がつけられなくなる。
私の体験を他のクリスチャンにすると、「そんなことあの先生がするはずがないじゃないですか」という。
いや、実際に悪霊が働くとどんなに素晴らしい先生でも、とんでもないことをやるのだ。
頭を切り替えよう。
そして、素直で、私利私欲のない、素直なクリスチャン、子供のようにまっすぐな心を持つクリスチャンをターゲットにしなさい。
独立心が旺盛で、原理的にものごとを考える知的能力を持ったクリスチャンを見つけて、彼らを味方につけなさい。
頑固者はだめだ。横車を押すような連中は足手まといになる。
社会に対する依存心が強い人間を避けなさい。
私は、経験上、こういった人々を説得することが無益であることを知っている。
我々がやるべきことは、社会のトップに立てるような原理からものを考えられる(つまり、習慣に縛られない)人々を獲得することだ。
2008年11月10日
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