聖書を前提以外として考える牧師は免職に値する


> 珍しくはありませんが非6日創造論は私の周辺ばかりでなく、知人の周辺の牧師に及んで
> いると聞きました。
> その牧師は「その当時の時間は現在と違って、少なくても1日の単位が数十年以上に相当
> すると思う。とても、神様が現在の時間で、たった6日で創造されたと思えない。」と、
>
> この事から、その教会を中心とする人間関係のトラブルというか、騒動が間を置いてです
> が起る原因の一つが分かったと言ってました。
> 御言葉中心と言っても基本中の基本をネジ曲がった聖書解釈をするなら、他への影響と波
> 及は予想できますね。
>
> 神の奇跡の恩恵にありながら、奇跡を信じきれないクリスチャンと名乗る者が多過ぎです。

(1)
創造論の日にちの問題は、単に創造論だけではなく、御言葉そのものの権威の問題ですので、絶対に見逃せません。
その牧師は、免職に値します。

恐ろしい問題です。
聖書は、はっきりと、夕があり朝があったとし、一日と限定しています。
聖書は、疑いの対象にできないものであり、疑った時点で、エバと同じ罪を犯したことになります。
聖書は、そのまま信じるべきものです。

(2)
神の能力を「1日で世界を創造できないレベルのもの」としている点で冒涜の罪を犯しています。

神は、時空を超越しているのです。

時空というひとつのコンピューターのOSのような基本システムを創造された方がそれに縛られるわけがありません。

時空に縛られると考える点ですでにその牧師は、「自然究極主義者」であり、ギリシャ思想家、そして、ローマ・カトリック、そして、リベラルの神学者たちと同じ間違いを犯しています。

自然は究極ではない。

自然は、創造されたものです。だから、究極の基準にならない。

神が究極であり、自然はその下においてある制限をつけられて存在する被造物にすぎない。

自然を基準にして神を評価するなどということは、本末転倒であり、絶対に避けなければならない。

(3)
世界の成り立ちに時間がかかったという考えは、自然科学が、進化論を前提にして成立しているからです。

進化論を前提にしているから、「長くかからないとおかしい」となり、その先入観の上で、岩石やら宇宙の大きさなどが決定されている。

つまり、進化を可能にするタイムスケール=100億年にする。

しかし、確率論からいって、100億年では足りない。

20種類のアミノ酸が100個集まって最小のたんぱく質を構成する場合、ピンポイントで必要なたんぱく質1個が偶然にできる確率は、20の100乗です。つまり、確率は0。

しかも、進化論では、宇宙は閉じられた系ということになっている。

外部から超越者による介入はないと。

閉じられた系では、秩序は一定か不可逆的に無秩序化するという法則があります。

エントロピー増大の法則です。

進化は、逆の現象であり、絶対にありえない。

もうひとつ、下記の説明によって進化論は完全に粉砕されます。

http://www.millnm.net/qanda3/72YmTcUQbxEK267541.htm

 

 

2010年8月2日

 

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