神は道なき道を歩むことを望んでおられる
よく資本主義が行き着くところは、どうしようもない不平等社会だといわれる。
近所の小さな商店がつぶれて、大規模店舗に客が取られてしまうと。
たしかに、私の近所でも、最近、大手の回転寿司屋のほうに客を取られて個人経営の回転寿司屋がつぶれた。
こう考えると、ひどい話だと思えなくもないのだが、しかし、考えて見ると、もしおいしいものを出していて、大規模店にない味や強みがあれば、小さな店でも客は離れなかったはずだ。
それに、大規模店がそこかしこにたつわけではなく、車でいかねばならない距離の場合は、客は近くに手ごろな店があったほうがいいと考えるわけだから、そこで需要が生まれる。
日本の米が高いのは保護農政が原因である。外国米に太刀打ちするために保護がどうしても必要だと言われてきた。しかし、近年農家が工夫して競争力をつける努力をして、ブランド米などの形で競争力のある商品を開発している。
最初から政治に頼って保護を求めると、体力が落ちて、競争する力を奪われてしまう。人間は、この過酷な自然と社会の中で生きることができる潜在能力を持っているのだから、政治に頼るやり方は自分の免疫力と競争力を落とし、長い目で見て、自分の首を絞めることになる。
私が卒業した大学は今学生の実力ががたがたらしい。
通っているときにすでに感じていたことだが、これは大学側の努力がないからだろうと思う。
私立大学のように、人気が経営に直結する大学は就職の世話や様々なサービスで国立大学とは比較にならない努力をしている。授業の内容も工夫し、社会において有能な人材を育てる工夫をすれば、いずれその努力が実を結ぶはずだ。
しかし、国立はお役所がやっているわけだから、いずれ衰退するのは目に見えている。東大だってこのままだと危ないかもしれない。
私が最初に使ったコンピュータはアップルのマッキントッシュだった。マックはグラフィック・ユーザー・インターフェースを先駆けて開発し、ユーザーの熱烈な支持を集めて、私が使いはじめたころは、放っておいても市場を独占できる勢いがあった。だから一般のハードウェアの会社にOSを提供しなかったわけだが、しかし、そのうちマイクロソフトがウィンドウズのOSを彼らに公開し、市場シェアを逆転した。
私は当時アップルに電話しても、対応がぞんざいで、ユーザーの側に立つ努力が足りないなあ、これじゃあ危ないぞと思っていたが、やはり、予感は当たった。それに対して、マイクロソフトは最初からアフターケアのために、常時相当な数の社員をクレーム処理に回していたと聞く。
私はこの過程を見て、「どんなに商品がよくても販売する努力をしなければ負ける」という教訓を学んだ。
競争社会において絶対に安心できる場所などないと考えたらよいと思う。そして、逆にいえば、競争社会では、努力すれば、どこかに道が開けるということも言えると思う。
私は神の御心は、政治とかコネとか賄賂とかそういった方法ではなく、まったく人間的に頼るもののない中で手探りで道を切り開いていく人を評価されるのだと思う。
聖書では、行く先を知らずに飛び出していったアブラハムを賞賛している。神は、互いに頼りあって集まることを求めたバベルの塔の人々を嫌い、イスラエルの人々を何も頼るもののない荒野に導き出され訓練された。
キリスト教は、手探りで未来を切り開くことを奨励する宗教である。
それに対して、マルクス主義は、「まずはじめに安定を!」をスローガンとする宗教である。日本共産党のポスターによく「生活の不安をなくする政治を!」というようなことが書かれてあるが、まさに共産主義がバベルの塔の教えであることを示している。
世界は神が創造されたのだから、どちらに軍配があがるかは明らかだ。この世界は、「道なき道を歩く」人のためにある。神は全地に散れと命令された。しかし、人間は集まりたがる。
最近はこれまで権威とされてきた企業がどんどん不祥事を起こしたりつぶれたりしているため、人々の心も変わってきた。昔は人におもねるタイプの人がアイドルになったが、今は自立心のある強い女性がスターになる傾向がある。
官尊民卑が当然とされてきた日本社会のバベルの塔的体質も変化しようとしている。
結局、問題は不信仰なのだと思う。
信仰によってしゃにむに努力する人を神は絶対に見捨てられない。プロジェクトXという番組に出てくるような人々を神は尊重しておられるのだと思う。
2004年6月28日
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