司法は我々市民を守る意思があるのか?


インドネシアに留学していた知人から聞いた話だが、現地では、警察のほかに自警団的なものがあって、それが細かな犯罪を自発的に取り締まるそうだ。

まあ、これは法治国家の基準から見ればリンチなのだろうが、しかし、警察がだらしなかったり、裁判所が市民を守る判決を下せなくなったらこういったものを作らざるを得なくなるだろう。

市民はいつまでも今のような司法関係者の理想論「死刑廃止論」「教育刑論」に付き合わないだろう。

このまま司法関係者が、殺人犯に対して甘い判決を下し続けるならば、市民の間から自警団的な動きがでるだろう。

もしくは、遺族が敵討ちをするために、独自に復讐的行動に出るだろう。

我々、法律を守り、国家の秩序を尊重する人間をいつまでもいじめるような判決を下すならば、秩序に従うことを拒否するようになるだろう。

1988年、何の罪もないアベックが少年らに襲撃され、暴行殺害、集団強姦された名古屋アベック殺人事件。

凄惨な鬼畜行為については、下記を参照。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E5%8F%A4%E5%B1%8B%E3%82%A2%E3%83%99%E3%83%83%E3%82%AF%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6

このような意図的で故意の殺人に対して、地裁の死刑判決が高裁で無期懲役に減刑。

もし裁判所に正常な感覚、常識というものがあれば、参加者全員死刑だ。

犯人たちは、刑期を終えて家庭を築いてのうのうと暮らしているという。

賠償金の支払う意思もなく責任を取るそぶりもない。

何のための収監だったのか?

この国では、遵法的な市民が置き去りにされている。

司法は、我々市民を守る意思があるのか?

 

 

2008年6月9日

 

ツイート



 ホーム

 



millnm@path.ne.jp