紀元70年以降の新天新地とは何だったのか?


「キリスト教?外国の宗教でしょう?」

キリスト教と聞くと、日本人の中にはそういう反応が多い。これまでは。

しかし、これからは違う。時代が変わった。

日本の主神、天照大神がイエス・キリストを表現したものである可能性が高まったからだ。

天照大神の天の岩戸伝説は、十字架と復活に似ている。

(岩戸に)「お隠れになる」のは、日本語で死ぬことと同じ。

死んだ天照大神が岩戸から出てきたのである。これは復活を表している。

岩戸神話では、八咫鏡が榊にかけられる。それを見た天照大神は、自分を見たのえある。つまり、鏡は自分自身を象徴している。

とすれば、鏡が木にかけられるとは、天照大神が木にかけられたと解釈できるのではないだろうか。

木にかけられ、洞窟に葬られ、そこから出てくる。出てきたことによって、天地に光が戻る。

これは、まさしくイエス・キリストを表しているとしか考えられない。

キリスト教は外国の宗教ではない。それは、日本の固有の宗教である。

これまでは隠されてきた。しかし、今はそうではない。霊界が変わったのである。私はそれを実感する。これまでの時代とは違う時代がはじまった。

日本の国旗日の丸は天照大神を象徴している。つまり、日の丸はイエス・キリストを象徴しているのだろう。

八咫烏によれば、「日」の文字は天照大神を表し、「本」は「大」と「十」が組み合わさり、天照大神が十字架にかかった姿を表すという。

日本という国は、頭の先から足の先までイエス・キリストを象徴しているのであろう。

「え〜、あんな遠いイスラエルの土地の宗教がなぜ極東の日本に?」

というだろうか。

離散ユダヤ人は当時全世界に散らばっていたし、そのユダヤ人の間をラビが巡回伝道していたのだ。

ユダヤ人は契約の民であったから、神は契約を果たすために、イエスの贖いの御業を彼らに伝える責任があった。

だから、神は弟子つまり使徒たちを世界に散った契約の民のもとに遣わして福音を伝える責任があった。

これは契約的責任であり、神は責任を全うされる方だから、ユダヤ人がいたところに必ず伝道者がやってきたはずだ。

紀元70年というイスラエルにとっての最後の審判の直前に、使徒ら伝道者が日本を訪れ、そこにいた契約の民に福音を伝えたはずだ。

どうだろうか。

これで、天照大神=イエス・キリストが荒唐無稽の説でないことがお分かりだろうか。

もう一つ重要なことがある。

それは、イスラエルへの審判が下った紀元70年という年は、ただ単に裁きと滅亡の年であるだけではなく、それは、救いの年でもあったということだ。

契約違反者には裁きが下ったが、契約遵守者には救いが及び、彼らは期待されていた新天新地に入ったのである。

これは、みなが見落としている事実である。

もう一度言おう。

契約遵守したユダヤ人たちにとって、紀元70年は新天新地到来の年だったのだ。

じゃあ、彼らには何が起こったのだろうか?

一体彼らにとって新天新地とは何だったのだろうか。

イスラエルの土地はティトス率いるローマ軍に滅ぼされてしまった。

エルサレムに住んでいたユダヤ人クリスチャンたちは、ぺラに逃れた。

「えっ?逃亡したことが新天新地なのか?」と驚かれるだろう。

逃亡生活が本当にメシアの世界の到来だったのか?

私は違うと思う。

初代クリスチャンたちは、紀元70年後、神に導かれて「新天新地」に入り、平和を獲得したのである。

それがどこだったのか。

お分かりだろうか。私は直には言わない。読者が推測していただくことを願う。

 

 

2006年7月24日

 

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