創造者が中心となるまともな世界に変えよう
私にとって仕事は、生活の糧を稼ぐためである。
本来の使命は、聖書にたつ世界観の確立である。
キリスト教界は、ヒューマニズムの世界観にたって聖書を解釈する人々に占領されてしまった。
だから、私が教壇に立てるような神学校も教会もない。
これだけ膨大な量の情報を流しているのだから、ひとつの教会や新学校でも評価してもよさそうなものだが、無視している。
アメリカにおいてラッシュドゥーニーやゲイリー・ノースが受けたのと同じ待遇を受けている。
孤立無援であり、それゆえ、内職をせざるを得ない。
現代世界は、義務教育制度によって、世界のすべての人々に対する世俗化の策略が成功してきた。
人々の世界観は、ことごとくヒューマニズムによって塗り替えられた(これを世俗化という)。
それは、クリスチャンであっても同じだ。
クリスチャンであり、教会に通っても、教える人々がすでにその指導者によって世俗化されているので、変わらない。
その指導者も、その指導者が世俗化されていた。ここ200年の間に、キリスト教界は、敵の世俗化の策略にまんまとはまり、教えそのものがぜんぶ敵側の世界観にたって組みなおされてきた。
だから、我々の周りの牧師や伝道者の常識そのものが変質しているので、まともなことを言うと追い出されるのだ。
毒麦は生長する。
だから、世俗化は、その本当の姿を必ず現すようになるだろう。
私を追い出した教会の牧師が高く評価し、講師として招いていたある韓国人伝道者が、最近セクハラで訴えられた。TVで大きくとりあげられた。
その教会の別の牧師が、神学校の授業で、成長する教会のモデルケースとして紹介し、訪問した教会の牧師が、今暴行とセクハラで裁判にかけられている。
もうひとつ教会成長のモデルケースとして授業で訪問した教会の牧師は、世俗心理学を聖書に適用する(つまり、正しい方法と真逆の方法。本来は聖書を心理学に適用するべき)ことで有名であったが、行き詰って本国に帰国した。
これでお分かりだろう。
今から20年前にはわからなかったことでも、時間がたつと内実は表面化するのだ。
ヒューマニズムは、中立の思想ではなく、悪魔の思想である。
それは、人間を中心に世界を回し、神をも利用しようとする新興宗教なのだ。
それを編み出したのがカントである。
世界のすべての人々は、学校教育を通じてカント教に洗脳された。
アメリカにいくと、「イエスはあなたを愛しています」というようなステッカーが車に張ってあるのを見る。
「あなたは愛されています」とかそういった文句があふれている。
視点がずれているのだ。
自分がまずあって、その幸せのために神があるという発想だ。
カントの「人間にとって意味がある限りにおいて神は重要である」という思想が、教会に浸透した結果である。
聖書の発想はまったく逆だ。
神は、ご自身の目的のために世界を創造され、人間を創造された。
悪人すらもあらかじめ運命を決定され、その役割を演じるために神に選ばれている。
生まれる前に決定されたこの運命について誰も批判できない。
なぜならば、神は絶対者であり、被造物を思いのままに動かす権利があるから。
「陶器を作る者は、同じ土のかたまりから、尊いことに用いる器でも、また、つまらないことに用いる器でも作る権利を持っていないのでしょうか。」(ローマ9・21)
2010年3月13日
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