心の貧しい者は幸いです
(1)
ある新興宗教は、社会的にひどいことをして有名だが、入ると居心地がいいそうだ。
暖かく迎えてくれるという。
そこで、ずるずるといて、次第に仲間に加えられ、とんでもないものを高く売りつけたりして教祖の私腹を肥やすために利用されている。
サタンは、「和気藹々」を使って騙す。
暖かい人間関係によって人を洗脳する。
私は、福音派のかつての友人に感謝している。
非常に暖かく接してくれたので。
しかし、同時にあの世界は自分を弱くしたと思う。
あのお花畑のような集団、天国にいるかと錯覚するようなすばらしい環境の中で、逆に、自分の信仰は鍛えられなかった。
それはソ連に派遣されたときに分かった。
自分が信仰していたのは、回りの人々がいたからだと。
自分ひとりになって、まったく異常な世界の中に入れられたときに、自分は信仰を鍛えたことがなかったということを悟った。
神は、クリスチャンに荒野を通らせる。
そこで、神以外に何も頼ることのできない状況にわざと置く。
祈りによって乗り切る体験をさせる。
「心の貧しい者は幸いです。」とある。
原語では、「心において極貧な人」という意味だ。
心に関して、無一文。
自分の心は、誰にも何も誇ることができないと自覚している人。
ただ神に頼るしかないと考えている人。
これがクリスチャンのあるべき姿だ。
これを悟ることができるまで神はあなたをぎゅうぎゅうしごくかもしれない。
しかし、安心していただきたい。この体験を通してあなたの信仰は強くなり、より豊かな実を結ぶようになるだろう。
(2)
私は、日本人は最近変わったと思う。
バブル以前に若者だった人と以後の人ではかなり違う。
バブル以前は、既存のシステムが安定していたので、権威が存在した。
それは、社会のしきたりのようなものが日本をきつく支配していた。
不文律のようなものに我々は支配されていた。
しかし、バブルによってそういう社会が権威を失った。そういう価値観を教えていた先輩たちがリストラされる。
社会がふるいにかけられた。
今、年功序列の崩壊とともに、他人や社会に頼れないと分かった若者が自立するようになったと思う。
それに伴って、日本の文化が世界で人気を集めるようになった。
我々が若いころの日本の芸能は日本にしか通用しなかった。
しかし、今は海外の人々が日本にあこがれるようになった。
この違いは、社会主義から社会を神とする思想から我々が脱却しつつあることから生じているのではないだろうか。
(3)
欧米のまねをし、何かするたびに、欧米人はこれをどう見るかを気にしてきた日本人だが、どうやら状況は逆転したようだ。
今後は、我々クリスチャンが先陣を切って、聖書だけに判断基準を持ち、欧米人の後ろをついていくようなことをやめようではないか。
聖書が基準であり、それだけに頼ることが最善なのだ、という信念を持とう。
そうすれば、我々は世界のリーダーになるだろう。
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。」(マタイ5・3)
2009年11月20日
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