聖書的教育によってあなたの家系は巨大な力を持つ


我々の頭は、幼児期にイニシャライズされる。

幼児期に、どのような言語でイニシャライズされるかによって、その人は、一生その言語に支配される。

幼児期に覚えた言語は、自動的に口からついて出てくるが、その後に覚えた言語は、考えないと出て来ない。

どんなに日本語がうまい外国人でも、どこかにアクセントが残る。

我々ネイティブは、微妙な違いを見分けることができる。

我々は、言語だけではなく、人生の基本的なシステムを幼少期に身につける。

食べ物や着物など。この時期に食べたものによって我々の味覚は決定し、好みの食べ物が決まる。

音楽は12歳か13歳で好みが決まるといわれている。

我々ビートルズ及びニューロック世代にとって、それ以前のプレスリーやポール・アンカなどはまったくなじみがない。

1930年代に生まれた私の友人の音楽談義についていけない。

1950年代生まれの日本人が作り出すものや話を見ていると、頭のOSがこの人たちと同じだと感じる。

『20世紀少年』という映画はまさに我々の世代の話だから興味深かった。

昭和45年頃、つまり、1970年代生まれの人々の話題にはついていけない。

まず我々はゲーム世代ではない。大学生のころにインベーダーゲームが流行りはじめた。家庭でゲームを楽しむという感覚はまったくない。

このように、我々の頭のOSは、時代と場所、言語によってそれぞれ違う形式でイニシャライズされる。

だから、同じ日本人同士でも、世代が違うと、なかなか話が通じないし、与えられた情報を処理する方法も違う。

幼少期にどのようなものを見、学ぶかは、その後の人生にとって決定的な違いを生む。

ホームスクーリングの教育が素晴らしいのは、スタート地点が高いことだ。

私は、悩みや苦しみの中で試行錯誤する中で、ようやくラッシュドゥーニーの聖書律法綱要にたどり着いた。

しかし、米国のある再建主義ホームスクーリングでは、最初から聖書律法綱要を用いて授業が行われている。

私が30年かかってたどり着いた地点が、スタート地点なのだ。

だから、教育がしっかりするならば、クリスチャンの家系は、雪だるま式に巨大な力を蓄えることができる。

自分自身を振り返って分かることだが、罪は無駄である。

罪を犯して懲らしめられて悩むことは、本来規則の適用がしっかりしていれば、体験しなくて済むことだ。

たとえば、強盗を犯して20年刑務所に入って教訓を学ばなくても、最初から訓練でそのようなことをしないように厳しくしつけられていれば、その20年は子供に体験させなくてすむ。

幼少期は、親の発言が絶対的な価値を持っているから、その時期に悪を遠ざける訓練をつめば、人生において無駄なことを避けることができるのだ。

どのようなイニシャライズをするか。

祝福と繁栄への最短コースを歩めるように訓練すれば、子供はそのようになる。

余計な罪を犯してぐだぐだ同じところを巡り巡る無駄の多い人生ではなく、神に役立つ人生を送らせてあげられる。

もちろん、我々は失敗しながら学ぶものであるが、しかし、殺人や強盗など、やらなくてよい失敗は無数にある。

そのような失敗を未然に防ぐのが知恵であり、聖書はそのような教訓にあふれている。

聖書によってイニシャライズしない家系は、毎回スタート地点が同じか、後退する家系だ。

逆に、聖書によってイニシャライズすれば、あなたの家系は雪だるま式に巨大化するだろう。

 

 

2009年5月12日

 

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