映画『パッション』


遅ればせながら、映画『パッション』を見た。だが「見た」とは言えない。最初の5分でやめたから・・・。

イエス・キリストの描き方があまりにも世俗的で、冒涜と感じられた。

イエスは単なる「苦悩する青年」でしかなかった。

神に対するという視点、畏敬の念がまるで感じられなかった。

イエスは人間であると同時に神である。

聖書のイエスには、神としての威厳が描かれている。

しかし、この映画ではそのようなものを感じられない。

メル・ギブソンという人の信仰がはっきりと現れた映画である。

私は、そもそもキリストを長髪として描くことに冒涜を感じる。

律法では、男性の長髪が認められていない。

「自然自体が、あなたがたにこう教えていないでしょうか。男が長い髪をしていたら、それは男として恥ずかしいことであ」る(1コリント11・14)。

どうして「恥ずかしいことである」長髪を、イエス・キリストがしていただろうか!!!

キリストを長髪として描くことに、「キリスト教の宗教化」というサタンの陰謀を感じざるをえない。

聖書において、キリストは王である。この世界の主権者である。政治・経済・文化あらゆる領域における主権者である。

しかし、長髪として描かれるキリストは、インドの長髪のグルのように、「宗教界のカリスマ」という印象を与える。

聖書において長髪は「被保護者」の象徴であり、女性の象徴である。女性は男性の保護を受けるものとして創造された。髪は外部からの刺激から頭を守る役割がある。髪が多い女性や若い男性は、被保護者なのである。

映画や漫画など、聖書に記されていない姿のイエスを描くことは冒涜である。とてもではないが正視に堪えない。

 

 

2007年2月13日

 

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