新しい福音書が出てきた?2


我々は、「何でも信じてもいい」わけではない。

信じることをはっきりと限定しなければならない。

それは、聖書による限定だ。

それ以外を信じるクリスチャンがいるならば、そのクリスチャンと縁を切るべきだ。

聖書を超える知識?

こんなもの嘘だ。

「じゃあ、最近発見された自然科学の知識はどうなんだ」と聞かれるかもしれないが、それは、神が自然啓示であらかじめ示しておられたものだ。

電子顕微鏡でなければ分からないものであっても、自然の中にすでに存在していた。

神は「自然を探れ」として提示された。

そして、これは聖書となんら矛盾していない。

しかし、ダビンチコードのような「イエスがマグダラのマリアと結婚していた」などという教えは、福音書に書いておらず、しかも、聖書は、イエスの妻は教会だと書いてあるのだから、嘘だ。

もしマリアと結婚していたとすれば、重婚になる。

イエスは律法を完全に守ったのであるから、重婚を行うはずがない。

聖書に堅く立つということがなければ、世界は虚無に堕ちる。

何を信じていいのか分からないということになる。

だから、聖書信仰に立たない人が精神を病んでも不思議ではない。

精神を崩そうとサタンは常にわれわれを狙っているのだから。

サタンが我々の精神を崩壊させるきっかけは、聖書への疑いだ。

聖書に対する信頼を奪えば、あとはどんどん崩れていく。

衝撃的な事件を起こすことによって、精神を崩壊させられる。

だから、サタンの常套手段は、「新しい啓示が発見された」というものだ。

惑わしの霊だ。

こういう霊について行く人は、サタンと一緒に地獄に堕ちる。

 

 

2009年12月13日

 

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