最も本質的な活動に関わろう
昨日、ジョン・レノン・ミュージアムに行った。
この才能豊かな人間の一生を振り返って思ったのは、神を否定した人間の一生のむなしさだ。
ビートルズの活動も、平和のための活動も、一瞬まばゆく輝いたと思ったらすぐに消えてしまう花火のようなものだと感じた。
「主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。主が町を守るのでなければ、守る者の見張りはむなしい。」(詩篇127・1)
サタンは、人間に幻想を見せて、最も大切なものを見せないように腐心している。
「また、悪魔はイエスを連れて行き、またたくまに世界の国々を全部見せて、
こう言った。『この、国々のいっさいの権力と栄光とをあなたに差し上げましょう。それは私に任されているので、私がこれと思う人に差し上げるのです。
ですから、もしあなたが私を拝むなら、すべてをあなたのものとしましょう。』」(ルカ4・5−7)
ほとんどの人間は、この幻にだまされて、一生をむだなものに使って死んでいく。
ラッシュドゥーニーがかつて、「今のキリスト教界の特徴は、神学の主流の考えを避けることである」という趣旨のことを述べたのを覚えている。
今、我々の回りを見てほしい。
みな神学的に亜流の考えに走っている。歴史的に正統とされた考えが否定され、なぜか極端な考えや、無視されてきた考えが幅をきかせている。
正統的な教理に近づくかな、と思って、ある信徒のグループを見ていると、直前でわき道に逸れていく。
クリスチャン、ノンクリスチャン問わず、サタンは巧妙に本筋を見せず、たとえ見せたとしても、他に魅力的な教えをちらつかせてわき道に入るように導くのである。
このような状況が続いても、いつまでたっても神の真意を実現することはできない。我々は、神が一番望んでおられること――地上における御国建設――に集中しなければならない。
「気を散らす」ということは、サタンの大きな戦術である。
本当に大切な活動には、人材や資金は集まらない。
なぜならば、本当に大切な活動がたとえ見えたとしても、それよりも他のもののほうが重要に思えてくるからである。
これが、我々が毎日体験する誘惑である。
このような誘惑に負けて、クリスチャンは、御国の建設にとって役に立たない人生を送って永遠の裁きの日に後悔するのである。
一度しかない人生である。
神の御国のために最も有効で、最も本質的な活動に関わりたいものである。
2005年11月11日
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