神第一の原則をまず確認しよう
「気心の知れた人間が集まっているのだから、うまくいくのではないか?」と考えて、何かのグループを始めたことがあるだろうか?
結婚もその一つだろう。
経験から分かるとおり、こういった計画は厳しい現実の前にもろくも崩れ去る。
「仲良しだから」とか「気心が知れているから」とか「愛し合っているから」とかだけでは、失敗するのである。
なぜだろう?
「神を中心とする」という原則が欠けているからである。
人類の中でこの失敗を最初に犯したのは、アダムとエバである。
彼らは神抜きでもうまく行くのではないか、と考え、サタンの誘惑に乗って実を食べた。
結果は、楽園からの追放と、労働と出産の苦しみ、土地の不毛化であった。
神を第一としないで始める「幸福の追求」は必ず失敗し、身に不幸を招く。
どのような人間関係であっても、神を除外して結ばれる時に、それは必ず呪われる。
昔、アメリカのクリスチャン・キャンプに参加した時、日本人のグループは互いに気心の知れた仲良しであった。
だから、特別な注意をしなくても、キャンプは成功すると甘く見ていた。
しかし、現地に着いてから、我々の人間関係は次第にギクシャクし始めた。
人間的な努力や、仲良し、愛などは、サタンの攻撃によって容易に破壊される。
先日、TVで浅間山荘事件の当時、山荘から警察に向けて銃を発砲した、当時少年だった人物がインタビューで、「私は、世の中を少しでもよくしたいと願って運動に参加した」と述べた。
これと同じ発言をオウムの地下鉄サリン事件において現場のリーダー役を務めた人物がしていた。
善意だけでは駄目なのである!
共産革命において互いに血で血を洗う権力闘争に明け暮れたロシア人たちは、権力による搾取から人民を救うために革命を始めたはずではなかったか?
それなのに、結果は、内ゲバによる仲間同士の虐殺と、救おうとした人民に対する血の粛清であった。
どうしてこうなるのだろうか?
サタンの誘惑に乗ったからだ。
「この実を食べる時、あなたの目は開けて神のようになれるのです」という。
「神などいらない、人間だけで幸せを勝ち取ろう」というサタンの誘いに乗ると、人間はその手中に入り、意のままに操作され、やがて大きな犯罪に引きずり込まれる。
誰かとグループを作って何かを始めようとする時には注意すべきである。
神第一の原則をまず確認し、互いに戒め合って、この原則から外れないように細心の注意を払うべきである。
この注意を怠るグループは、たとえ善意で始めたとしても、知らず知らずのうちに犯罪を犯す悪意の集団に作り変えられることだろう。
2005年12月15日
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