2種類のユダヤ人と日本
(1)
日本人は誤解しやすいのであるが、ある一部のユダヤ人が悪の勢力として世界征服を狙っているからといって、ユダヤ人すべてが悪の勢力というわけではない。
ユダヤ人には2種類いるのだ。
これは、イエスの時代からずっとである。
片方は、力の崇拝者。もう片方は、信仰者である。
前者は、力によって世界を征服できると考え、後者は、信仰によって世界を征服できると考える。
ユダヤ人は契約の民であるから、神から世界の統治権を与えられている。だから、ユダヤ人が世界を征服することを目指したとしても問題はない。
神は、信仰者であり、神と契約を結んで神の味方であるアダムに「地を従えよ」と言われた。
クリスチャンは、イエスによって神の契約に入った者であり、契約の民であり、霊的なユダヤ人である。
問題は、方法にあるのだ。
力、むきだしの力、暴力、軍事力によって世界を征服しようとすると、神の契約ではなく、悪魔の契約によってことを行うことになる。
なぜならば、神がユダヤ人との間に結んだ契約とは、十戒をはじめとする律法を守ることによる「倫理的な支配」を教えているからだ。
つまり、イエスが山上の説教で述べられたように、
「へりくだっている者は幸いである。地を相続するから。」
ということだ。
神の御前に謙遜で、柔和な者が、地上を支配できる。
力ではなく、倫理こそが、地上支配の秘訣である。
これが、アブラハム、ダビデ、キリストを通じて神が示された契約の方法である。
イエスを十字架につけたユダヤ人たちは、キリストをローマ軍に対抗する力を持つ軍事的救世主と期待した人々である。
しかし、イエスは、「右の頬を打たれたら左の頬を向けよ」「1ミリオン行けと命じられたら、2ミリオン行きなさい」と言われた。
当時、ローマに支配されていたユダヤでは、ローマ兵士がいわれもなく頬をぶったり、物を運んで歩くように命令したりした。
誇り高いユダヤ人は、異邦人によるこのような侮辱に耐えられなかった。
そこで、彼らはローマを打倒する救世主を求めた。
しかし、イエスは、「おまえたちは、武力でローマの支配から脱却しようとしてはならない。むしろ、支配者であるローマ人に手向かわないようにしなさい。」と教えられた。
なぜならば、ユダヤ人が異邦人の支配を受けたのは、契約違反が原因だったからだ。
律法には、契約を守る限り、あなたの上に他の者を立てない、と約束されていたからである。
解決は、契約的でなければならない、とここでイエスは人々に教えられたのである。
武力で解決しようとするのは傲慢な心があるからだ。
自分がこのような悲惨な状態にあるのは、契約違反が原因であることを悟れ、と。
しかし、パワーを信じるユダヤ人は、イエスを拒否し、十字架につけ、その後、自分たちの思いを実行に移した。
つまり、ローマに対して反旗を翻したのである。
その結果、彼らは自滅した。その象徴がマサダの要塞における殉死である。
今のイスラエル政府、世界統一を狙うユダヤ人のヒーローはマサダの要塞の戦士たちである。
つまり、彼らは、イエスの契約的な考え方を拒否し、イエスを十字架につけたパワー宗教の信者たちの霊的子孫である。
だから、彼らの背後にはサタンがいる。
世界を牛耳ることを狙っているユダヤ人は、非契約的ユダヤ人、肉的なユダヤ人、パウロが、「ユダヤ人と自称する者たち」である。
(2)
ユダヤ人は、彼らだけではない。契約的な考え方をした人々はいた。それがクリスチャンである。
イエスの弟子たちの群れは、ユダヤ滅亡までパレスチナにいた。
しかし、滅亡後はどこに行ったか不明である。
ローマに行った者、アジアに向かった者いろいろだっただろう。
しかし、私は本体は日本にきたのではないかと考えている。
なぜならば、紀元70年のユダヤの滅亡は、神の裁きであり、神の裁きとは、マタイ25章のように、救いと遺棄という2種類の結果をもたらすからだ。
つまり、捨てられたユダヤ人がいれば、救われたユダヤ人もいたということだ。
さて、遺棄されたユダヤ人が世界の方々に散ったならば、同じ運命を救われたユダヤ人も受けたというのはおかしいことである。
つまり、救われたユダヤ人も世界に散って、ローマなどの迫害を受けたというならば、それは救いになっていないと思うのである。
私は、救われたユダヤ人に対して、神は平安の地を与えられたのではないか、と考えている。
つまり、神は、日本という外敵から隔離された島国において契約の民を平和に暮らさせたのではと考えるのである。
(3)
そうでなければ、日本にある「新エルサレム」のしるしを説明できない。
平安京は、ヘブライ語に訳せば、「エルサレム」である。どちらも象徴はダビデの星である。
平安京は、十字架の形をしている。
http://www.millnm.net/qanda3/kyotocity.jpg
十字架の頭の部分にあたるところには船岡山があり、そこには稲荷神社がある。稲荷とは、INRIからきているという。
つまり、イエスの十字架の頭の部分にかけられた碑文「これはユダヤ人の王」の頭文字である。
平安京は、黙示録と似て、中央に川が流れており、その脇に薬効の樹木が植えられたという。
(4)
このことから興味深い考えが浮かぶ。
ただし、それを証明することはできないが。
その考えとはこうだ。
ユダヤ人のうち、非契約的考えをした人々、つまり、実質を伴わないユダヤ人、サタンの側にいるユダヤ人は、世界に散らされた。
彼らは、その非契約的考え方をひきずり、いまだに武力によって世界支配を狙っている。911を起こしたシオニストだ。
契約的考えをした人々、つまり、本当のイスラエル、キリストの側にいるユダヤ人は、新エルサレムである日本に来た。
イスラエルはみな救われる(ロマ11:26)のだから、契約的イスラエルである日本人が、非契約的イスラエルであるシオニストを導かねばならない。
世界のユダヤ人が回復し、キリストを救い主として受け入れるのは、日本の契約的ユダヤ人の子孫の伝道によるのではないか。
識者の検討をお願いする。
2007年7月30日
ツイート
ホーム