自殺は究極の傲慢のなせる業である


私は、自殺者をあわれまない。

自殺は、神が自分に与えられた可能性を自ら拒否する行為であり、「弱さ」の象徴ではなく、「傲慢」の象徴である。

人間は必死になって解決を求めれば、必ず出口が与えられる。

なぜならば次のようにあるからだ。


あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。(1コリント10・13)

自殺をする人は、自分を「偶像」にしている。

本当に素直で、神の前にへりくだる姿勢があれば自殺などしない。

大学時代から知り合いで何人か自殺したが、共通する特徴は傲慢と頑固。

人に頭を下げることが嫌い。自分が破滅する方向に向かっていることを知っていても、それを頑固に貫く。

心の底から人に謝れない。

自分が悪いとわかっていても、悔い改めず、悪の道を貫く。

表面的には謙遜に見えるが、奥底では常に人を裁いている。

ちょっとした隙に「俺だけが義人だ」という部分がかいま見える。

つまり、まともじゃないのだ。

まともな人間は、悪いと分かれば謝る。

過剰に自分のことを義人に描かない。

まともな人間は、柔軟である。

心の奥底において本当に謙遜になれない人間だけが自殺する。

自殺は究極の傲慢のなせる業である。

 

 

2008年12月15日

 

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