ディスペンセーショナリズムのプレ・ミレの起源


「大患難時代が迫っている」、「ハルマゲドンが近い」、「携挙は間近だ」、「終末への秒読みがはじまった」・・・。

今、全世界のクリスチャンは終末を予期して騒ぎたっている。誰も「教会の勝利」を信じない。「これから、クリスチャンが世界に影響を与えて、政治・経済・文化のリーダーになる?笑わせないでよ。そんなことできるわけがないじゃない!」と言って再建主義をあざ笑っている。この不信仰に伴って、実際に、クリスチャンの力は弱まった。世界においてキリスト教の文化的影響力の衰退は著しい。

世界のキリスト教を弱体化させた張本人である、このいわゆる「ディスペンセーショナリズムのプレ・ミレ」と呼ばれる預言解釈の歴史は古くない。

Ovid E. Need Jr師が、20年にわたる研究を背景に発表した著書Death of the Church Victorious(「勝利の教会の死」)の中において、その歴史について詳しく触れておられる。

http://biblicalexaminer.org/BookReady.html

この預言解釈の基礎にあるディスペンセーショナリズムの学説をはじめて編み出したのは、ローマ・カトリック教会イエズス会の司祭ラクンザ(1731−1801)である。後に彼は「ベン・エズラ」という名で呼ばれた(彼はユダヤ人の家庭に生まれた)。

ベン・エズラ説を世に広めた最初の功労者は、1815年にスコットランド長老教会の牧師となったエドワード・アーヴィングである。彼は、ベン・エズラの学説を学び、非常に広い地域の多くの人々に影響を与えた。彼の活動は、教会の勝利信仰に致命的な打撃を与えた。

ある人は、プレ・ミレはキリスト教の初期からあるではないか、というかもしれない。たしかにプレ・ミレは原始キリスト教の時代から存在した。しかし、教会はこの立場を正統的な見解としたことは一度もなく、4世紀にアウグスチヌスのポスト・ミレによって闇に葬り去られた。

また、ディスペンセーショナリズムのシステムを唱えた人としてラクンザの前にもモルガン・エドワーズ(1722−1795)がいたではないか、といういうかもしれない。しかし、Ovid E. Need Jr師によれば、現代のディスペンセーショナリズムのプレ・ミレの基礎となったのは、アーヴィングや彼の弟子たち(特に、ダービーとスコフィールド)が広めたラクンザの「ベン・エズラ説」であった。

さらに、「ベン・エズラ説」は、プリマス・ブレズレンが用いていたスコフィールドのリファレンスバイブルを通じて世界中に広まり、正統主義として受け入れられるようになった。

Need師は次のように言う。

「この新しい独特なキリスト教思想を信じた人々は、一度も敵と闘いを交えることなく社会を反キリストの霊に譲り渡した。ラクンザの千年王国説は目新しいものではなかった。しかし、今日の世界が反キリスト的熱情に浮かされるようになった直接の原因は、ラクンザとアーヴィング、そしてダービーの所属した小教派、にある。」

「たとえ、神の民が、無責任な逃避主義のメッセージを深く愛しているとしても、希望に満ちた使命が彼らの目の前から消え去ることはけっしてない。それは、神の御心にしたがって事を行なおうとしているのは、ほかでもなく、彼らのうちにあって生きて働いておられる神ご自身だからだ。」

「私は、こう祈りながら、この本を上梓した。すなわち、神が御民に『出て行って、すべての国民を教えたい』という願いを与えてくださるように、と。つまり、彼らが『世界の諸民族をキリスト教化し、キリスト教信仰を生活と思考のすべての領域に適用したい』と願うようになりますように、と。」

「これらのすべてのことにおいて、私たちは、私たちを愛してくださった方によって圧倒的な勝利者である」(ローマ8・37)

 

 

2004年9月25日

 

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