聖書の神を否定すれば将来は国家による専制支配しかない
「人生はこの世で終わる」という考えは、諸悪の根源である。
上は役人の公費無駄遣い、天下りから、下は横領、詐欺、泥棒に至るまで、死後に裁きがあるということを忘れるからである。
「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」(ヘブル9・27)
人間は神の被造物であるがゆえに、自分が生前肉体において何をやったかについて、確実に裁きが下る。造られた者が、造られた神に対して責任を負っているのは当然のことである。
TVのレポーターに対して、架空請求詐欺犯がこう言っていた。
「今の日本はもう終わっているじゃないですか。がんばってもどうしようもない。だから、比較的簡単に大金が手に入るこの商売をはじめたんですよ。」
彼らのやっていることはもちろん問題ではあるが、しかし、若者から夢を奪っているのは、がんばって稼いでも税金で取られ、役人の無駄遣いに消えてしまう、この日本の「馬鹿なシステム」であるということを我々は気づき、反省すべきである。
民間のビール醸造会社ががんばって安価なビールを開発しても、「財政難」を口実に税金をかけ、彼らの努力を水泡に帰すようなことをやっている。
人々が株で儲けていると知ると、値上がり益に課税し、株では大金持ちになれないようにする。
人々が車を所有してレジャーを楽しもうとすると、重量税だのなんだのいろんな税金を課して楽しみを半減させる。
大きな資産を持つ家族があれば、法外な相続税によってつぶしてしまう。
マルクス主義経済は、国による民へのねたみを合法化する悪魔の経済である。
極論すれば、マルクス主義経済の影響を受けている限り、この国では、役人と利権企業家以外誰も金持ちにも幸せにもなれない。
聖書の神を否定することは、自分の首を締めることだ。
聖書において神は、国家が人々から徴収できる税金のパーセントを10%未満に制限しておられる。
このような神の命令を無視することによって、人々は自分で自分の首を締め、豊かになろうとすればするほど逆に貧困の中に追いやられるのである。
我々は、聖書の戒めを捨てて、相対主義を選択するときに、この世界が「弱肉強食」の世界に変わることを覚悟すべきである。
聖書の制限を捨てれば、強い者が弱い者を排除するために、法律まで変えることができるようになる。権力者が、10%以上の課税権を手に入れれば、対立する相手を排除することなどたやすいことだ。
合衆国最高裁が「課税権は破壊権だ」と述べたとおりである。
どんなに民主主義の体制を誇っていても、課税権に関して国にタガをはめることができなければ、その体制の本質は専制なのである。
進化論を信じ、死後の裁きを否定し、神を恐れることも、聖書が規定している国家の権限ルールも否定すれば、行きつく先は、国家によるがんじがらめの専制支配である。
理念が間違っていれば、間違った結果しか生まれない。
思想は必ず実を結ぶのである。
2005年5月2日
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