ユダヤ人から学ぶ?
ユダヤ人を過大評価する傾向が日本人にはある。
だから、ユダヤ人にとって日本は奇妙な空間だろう。つまり、ユダヤ人は世界中で厄介者扱いされているのに、日本においてだけは歓迎される。とくにクリスチャンには。
クリスチャンは、ユダヤ人やユダヤ教と接する場合に注意しなければならない。
なぜならば、彼らは、「正しい信仰から堕ちた」人々だからだ。
彼らは、ものみの党や統一協会のように、「別の経典を採用し、聖書に追加した教義を設けた」のだ。
つまり、ユダヤ教とは異端である。
だから、「ユダヤ人から学ぼう」なんて簡単に考えないほうがいい。
タルムードなど彼らの聖書に追加した教えは相当おかしい。頭がどうにかしたのではないかと思うくらいおかしい。
我々人間は、聖書を失えば、同じように迷うものだ。
誰も例外はいない。
聖書から外れるならば、サタンによって妄想を吹き込まれる。
それは、どちら側にもゆれるから注意しよう。
科学的な方向にもゆれるし、非科学的な方向にもゆれる。
科学的な方向にゆれるとは、「奇跡なんてまったくなかった」とか「エノクが空中に携挙された?嘘でしょう!」「処女降誕?馬鹿じゃないの?」というようなものだ。
これは現代人に多いミス。本当の科学は「この世界で起きる現象すべてを予測など絶対できない」とあきらめている。
本当の科学者は、人間の知識には限界があるので、そういう奇跡が起こらないなどとは信じない。
科学的な異端に走ると、どうなるかというと、すべて科学的に解明できない現象を否定するから、自分を偽ることになり、頑固者になる。
だいたいこういう間違いを犯した人間は傲慢だ。何でも科学で割り切れると考えている。
しかし、実際の生活では、科学的には行動していない。なぜならば、我々の人生には科学では解明できない偶然の妙に満ちているからだ。
自分の奥さんとの出会いを考えてほしい。本当にこれが偶然と思えますか?
出会いというもの、別れというものは、「その時だから」起こる。
全部、神の計画した時に起きる。それ以外では考えられないときに起きる。
出会いだけではない。全部計画なのだ。
考えてほしい。聖書では、すべての人は予定されている。誰が救われるかは予定されて数がすでに決まっている。
ということは、どの精子とどの卵子をどのタイミングで受精するかも全部決まっているのだ。
つまり、「すべてはその時だから起こる」ということ。
偶然など一つもない。
もう一つのゆれは、非科学的な方向だ。
それは、迷信である。変なことを信じるようにサタンは仕向ける。
占いの類に走る。そうして、サタンのわなの中でがんじがらめに縛られる。
風水とか占いとか信じると、運命論者になる。運命論者になったらサタンは「やった!」と大喜びする。
なぜか?
コントロールできるからだ。
「占いであと3年の命と宣告された」とあるタレントが語った。そのとおり3年たって亡くなった。
「その占い師はすごい」と思うだろうか。私は違うと思う。
彼女は暗示にかかったのだ。そのように悪いほう、悪いほうに考えるようになった。
つまり、サタンに縛られたのだと思う。
キリスト教の予定論は、運命論ではない。
勝利は予定されている。キリストは世界を支配する。
そして、クリスチャンの人生は必ず勝利する。
その最終結末は決まっている。
しかし、その過程は未知なのだ。神はすでにご存知だ。しかし、我々は知らない。
だから、我々はトライしなければならない。
チャレンジしなければならない。
チャレンジは必ずよい結果に終わることが予定されているが、しかし、短期的に見てそうではないと思われるかもしれない。
しかし、それも長い目で見れば益になっていると後で分かるだろう。
すべては計画にしたがって起きる。
神は我々をすでに勝利者として決定された。しかし、中途の過程は分からない。
だから、委ねることだ。委ねて努力する。可能性にかける。
さて、ユダヤ人は、聖書から外れたことによって、オカルトになった。
彼らの信仰から学ぶなんてよほど知識がなければ危険だ。
信仰的な成長と経験がない限り異端から学ぶなんてできるはずがない。
信仰が幼い時期には、正しいものだけを選択して学ぶのがよい。
わき目もふらずに正しい健全な教えを学ぶことだ。
2009年11月30日
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