日本に関する仮説 25


伊豆はおもしろい土地である。

伊豆の神社は多くが秦氏の神社だ。三神たける氏は、HPにおいて、次のように述べられた。


伊豆半島の突端に、石廊崎がある。断崖絶壁の上にあるジャングルパークを抜けると、灯台がある。さらに、その横を通り抜けると、小さな社が見えてくる。石室権現神社である。祭神は石廊権現という。
 だが、この石廊権現とは、石廊崎にあるから、その名がある。本当の名前は何か。神社が掲げた説明板には、秦宿弥とある。そう、秦氏だ。どうして、こんな伊豆の突端に、秦氏が祀られているのか。
 よく読むと、秦宿弥の27代前の弓月君もまた、この神社で祀られている。伊豆にやってきた秦氏が自らの祖先を祀ったものだろうか。
 ここ伊豆の先端には、秦始皇帝にまつわる伝説が少なくない。どうも、徐福が記したという『宮下文書』がベースになっているらしい。秦氏は秦始皇帝の末裔と名乗っていたため、伝説が付加したのか。
http://www.kitombo.com/mikami/0812.html

不思議なことに、友人で伊豆出身者がいるが、実家の近くで大文字焼きが行われるという。

飛鳥氏によると、大文字焼きの大の字は、五芒星を表し、それゆえ、安倍晴明と関係があるという。もちろん、安倍晴明は秦氏である。

また、伊豆では、烏天狗が神輿を担ぐ行事が行われるという。秦氏の八咫烏を連想させる。

伊豆が秦氏の土地であることを如実に示すのは、地名の「賀茂郡」だ。

 秦氏だけではない。石廊崎のあたりは、賀茂郡という。上賀、下賀茂、中賀茂という地名も見える。伊豆の西側にも、賀茂の地名がある。どうも、この伊豆、賀茂だらけといった印象をうける。
 賀茂氏といえば、秦氏の中の秦氏である。ユダヤ人原始キリスト教徒の中でも、祭司レビ人である。秦氏とともに、賀茂氏が伊豆へやってきたのは間違いない。
 伊豆半島の付け根には、三島市がある。三島というと、すぐ愛媛の大三島にある大山祇命神社が有名だが、もうひとつ大阪に古い三島神社がある。正式名は三島鴨神社という。つまり、三島神社自体、賀茂氏とつながりが深いのだ。
 さらに、三島大社の祭神は大山祇命、もしくは事代主命という。大阪の鴨都味波事代主命神社は、いうまでもなく賀茂氏の神社だが、ここの祭神もまた、事代主命だ。賀茂氏あるところ、事代主命ありき。その信仰は伊豆のみならず、伊豆諸島にまで広がっている。

東伊豆には、「弥勒山」がある。

弥勒といえば、弥勒菩薩。弥勒菩薩といえば、広隆寺。広隆寺は、東映太秦映画村で有名な太秦にある。太秦は、もちろん秦氏の土地。

広隆寺の別名は、蜂岡寺、秦公寺(はたのきみでら)、太秦寺などで、秦氏の氏寺である。

現在の広隆寺の本堂に当たる上宮王院の本尊は聖徳太子像。秦氏と聖徳太子との関係が窺い知れる。

E.A.ゴードン女史によれば、弥勒とは、実はキリスト教とユダヤ教のメシア思想がインドに入って生まれたもので、インドでは「マイトレーヤ」となり、中国で「ミレフ」、日本で「ミロク」となったそうである。
http://snsi-j.jp/boards/past.cgi?
room=undefine&mode=find&word=%A5%B4%A1%BC%A5%C9%A5%F3&cond=AND&view=10

秦氏と弥勒信仰、聖徳太子、そして、伊豆。

日本にはイエス・キリストに関する多くの謎が秘められている。

 

 

2006年10月31日

 

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