最も本質的な活動に関わろう2


神は世界を創造され、人間にその支配を委ねられた。

だから、人間は、神の創造の完成者として立てられた。

それゆえ、神の国建設は人間の中心的な使命である。

「御国が来ますように。御心が天で行われるように、地上でも行われますように。」との祈りは、「日用の糧を毎日与えてください。」との祈りに先行している。

自分の必要よりも、神の御国を第一に求めよ、ということである。

自分のことを優先していては、御国など作れない。

御国が人間にとって中心的な使命なので、自分の人生の決算日には、「どれだけ御国建設に貢献したか。」によって評価が下る。

人間が人格的被造物である以上、人生全体が評価の対象である。

我々は、仕事をするために生まれてくる。

人生全体が仕事である。

ヒューマニズムに騙された人々は、「人生でどれだけ楽しめるか?」が問題だ、と言うが、我々にとって本当の、中心的テーマは、「人生でどれだけ御国を建設できるか?」である。

「大きな傾向として」ではあるが、人間は、20歳になるかならないかの時に、人生で自分がやらなければならないことを探す旅を開始する。

19,20でクリスチャンになる人が非常に多いのはこのためである。

30歳のときに使命が見つかり、40歳のときに使命が確立する。

40から70までは、自分の使命を実現するための期間、つまり、「働き盛り」である。

70以降は、人生を総括し、仕事を後継者に引き継ぐための期間であり、自分の人生の結びの時期である。

恐らくこういった大まかな流れがあるように思われる。もちろん、人それぞれ道は違うし、神様の扱いは異なるだろうから、「これしかない」と言うつもりはない。

しかし、神は人間それぞれに使命を与えて、このような過程で実行させておられるように思える。

このように、我々は、神に生を与えられて、「御心を地上において実現する」ために生まれ、生き、死ぬのである。

サタンは、この地上を横領するために、我々の気を逸らせ、枝葉末節の事柄にこだわらせる。

無駄な享楽、無目的な金儲け、幻聴や幻視、人の評判、人の目、死の恐怖などによって気を散らされている人間は、サタンのいいカモなのである。

これらの人々は、自分がやるべき使命を達成できないままに無駄な時間を過ごして死んでいく。

これは、あたかもスパムメールを大切に保存し、本当に大切なメールを捨てている人に似ている。

いくら何千億円の資産を残したとしても、死んでしまえば終わりである。

御国建設に利用されなかったお金を人生の査定の材料に加えることはまったくできないのである。

人間にとって大切なものはわずかしかない。

そのわずかなもののために人生を使わない人間は、究極の愚か者である。

その人生はまったくの無駄骨である。

 

 

2005年11月12日

 

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