改革には細心の注意が必要だ
教会に革命思想を持ち込む人々がいる。
昔ほどではない。昔、労組活動なんかやっている人が、団体交渉の態度を教会にまで持ち込んでつるし上げみたいなことをやろうとした。
マルクスの弁証論を採用すると、人間関係を「対立関係」と見るようになる。
牧師と信徒の関係もこの文脈で見ようとするから、やたらに相手と対決しようとする。
そしてやっかいなのは、何でも「権力を持つ人間」を悪と見、自分のやっていることを解放と見、自分のことを悪と戦う英雄と見ることだ。
聖書はそんなことどこにも述べていない。
聖書では、牧師など権威を与えられている人は、神によって立てられていると述べている。
だから、その集団に入ったら、我々はその権威にしたがうべきなのだ。
もし彼の言うことを否定するなら、そこから出るべきだ。
そこに留まりながら反対をするのはよくない。
もちろん、対話はよいが、相手を倒すというようなことはよくない。
しかし、仮にその教会の統治形態が、長老制であり、長老が牧師と対等な権威を持ち、選挙によって牧師にノーを言える体制であるならば、長老を通じて意思を実現することは間違いではない。
つまり、合理的でなければならないということだ。
自分が属している組織の秩序を重んじるべきである。
革命を起こしてはならない。
では、外部の人間が悪を行っている場合、どうしたらよいのか。
外部だから何もいえないのか、というとそうではない。
しかし、行動には注意が必要だ。なぜならば、サタンは秩序破壊のために我々の正義感を利用しようとするから。
混乱を引き起こして教会を潰そうとするだろう。
改革には細心の注意が必要だ。
2008年7月4日
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