聖書的社会以外に解決はない
社会福祉という美名に隠れて、悪い人々が勤労者からお金を盗んできた。
我々の血と汗と涙の結晶であるお金が彼らに奪われ、アメリカや中国にわたり、戦争や麻薬の取引を助けるために使われてきた。
税率を10%未満に限定するという聖書の基準を適用すれば、我々の所得は今の3倍になる。
一世帯平均700万である。
しかし、社会福祉のためという美名のもとで搾取が行われ、我々の稼ぎのほとんどが上に吸い上げられ、そして、年金のようにどこかに消えてしまう。
年金制度はすでに崩壊しており、100兆の赤字だそうだ。どうやって立て直す?もう一度やり直すのか?
いいかげんに目を覚ませ!!!
国は福祉をする機関ではない。
商売の感覚のない役人に金を渡すな!
福祉とは税金以外に金を搾取するための方便である。
神は、国を義の僕として任命された。つまり、社会秩序を維持するという使命を与えられた。
福祉は、教会と個人に与えられた仕事だ。
個人は、収入の十分の一を、貧困者や教育などのために割く。
教会は、信徒の献金を使って教会の中で困っている兄弟姉妹を助ける。また、外部の人々のために慈善を行う。
教会は恵みの僕である。
個人は、子供を育て、次世代を養い、神の国の拡大のために訓練する。
生産を行い、富を蓄え、地上における神の支配を拡大する。
こういう役割分担を否定し、国家にすべての権力を集中させようとしたのが、共産主義である。
共産主義は、世界を席巻し、日本をも巻き込んだ。
戦後マッカーサーとともにやってきたユダヤ人たちは、ニューディーラーであり、アメリカを共産化した人々だった。
だから、今の政治家はみな共産主義者であり、共産主義の枠組みから抜け出ることのできる人は一人もいない。
いくら今のシステムで努力しても無駄である。
根本的に変えなければならない。
聖書に基づいて社会を根底から変えなければならない。
世俗の陰謀論をいくらやっても、敵の正体を暴くことはできるかもしれないが、建設は行うことができない。
なぜか?
青写真がないから。
ヒューマニストには、共産主義以外に青写真はない。
世俗自由主義、自由市場経済は、弱肉強食の原理による強い者が弱い者を虐げ搾取する体制にどうしても移行するから歯止めがきかない。
このあまりのむごたらしさに、共産主義を採用する人々が現れた。しかし、共産主義は、つきつめて言えば、自由主義以上に残酷である。
自由主義の時代には社会の中で100万人の人が富を寡占していたのが、共産主義になると1万人の人々が寡占するようになるというような変化でしかない。
平等な分配など夢である。
だから、聖書という青写真がなければ、絶望しかないのだ。
聖書という青写真を社会に適用すること以外に解決はない。
社会は、自由放任体制と専制奴隷体制の間を行き来するだけだ。
その変革のたびに多くの人々が亡くなる。
馬鹿馬鹿しい。
人類はあきらめて、聖書の神を信じて、聖書を基準として受け入れるべきだ。
ここにしか解決はない。
2009年2月23日
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