タイムマシンは不可能であるだけではなく不道徳でもある


タイムマシンで未来からやってきたというJohn Titor (ジョン・タイター)と名乗る人がいるという。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%BC

2034年にタイムマシンが完成し、それによって2036年からやってきたらしい。

近未来に起こることとして彼は、中国による日本・韓国・台湾の併合、第三次世界大戦と核戦争の勃発、世界人口30億人の死亡などを挙げた。

このタイターという男、ガセである。

なぜならば、もしタイムマシンができ、過去に行くことができれば、歴史が変わってしまうから。

この反論に対して、タイターは「パラレルワールド」を提示する。


例えば、過去にやってきたタイムトラベラーが自分の親を殺したとしても、自分がいた世界とは別の世界に分岐して異なる未来ができるだけで、現在の自分の存在が消滅することはない。

また、そもそもタイムトラベラーが過去にやってきた時点で、その世界の未来には、自分がいた未来とは別の世界ができあがるという。

これでは問題は解決できない。

なぜならば、もしタイムマシンができたならば、タイターだけではなく、それ以降の利用者も含めた多くの人間がすでに我々の周りにいて、様々な活動をするはずだから。

そうすれば、パラレルワールドが無数にできてしまう。

タイムマシンの性能が進歩して、一般人にも利用できるようにもしなれば、いろんな思惑の人間が過去に遡って自分の都合のよいように未来を変えるかもしれない。

そのたびにパラレルワールドができ、そのパラレルワールドにおいても未来人は活動するから、そこでまたそのパラレルワールドができる。

つまり、無限増殖することになる。

このような混沌を神が許されるはずはない。

タイムマシンは不可能であるばかりではなく、不道徳である。

運命を決定できるのは神以外にはなく、時間の操作は神にのみ属する事柄である。

歴史は一つしかなく、可能性は一つしかなく、シナリオも一つしかない。

それは永遠の昔に神が決定されたことである。我々が見る現実は、そのシナリオの実現である。

時間と空間は、神がお定めになった「ファンダメンタル」であり、人間に与えられた自由はこのファンダメンタルの上で活動することだけである。

ファンダメンタルそのものを変えることは人間にとって越権行為である。

タイムマシンや占いなど、時間を超越しようとする試みは、神になろうとすることであり、それゆえ偶像礼拝的行為である。

 

 

2008年5月25日

 

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