思想にこだわれ


戦後の間違った唯物教育によって、日本人は、「目に見えるもの」に頼るようになった。

「実際に金が儲からなければ何になるんだ?」と言うようになった。

しかし、この世界の中心は観念である。

観念を中心にできている。

例えば、立派な橋を見て、橋のフォルムや威容に注目する人は表面的にしか物事を観察できない人である。

その背後にある思想や建築技術について思いを致せる人はものの本質が分かっている。

橋が目の前にあるのは、まずその橋に関するイメージがあったのである。

イメージが先行しないで存在しているものはこの世界に何もない。

まず設計者の頭の中に、作ろうとする橋の図が浮かぶ。

それを目標として、具体的な設計に入る。設計も一つの観念の作業である。

その観念の仕事に基づいて、施工業者が資材や労働者の調達など計画する。これも観念の作業である。

我々が日々目にするものは、ことごとく観念が先にあり、それを基礎として材料が集められ、組み立てられて成立している。

だから観念を軽視するのは愚かなのだ。

だいたいにおいて、大学の哲学科は人気がない。就職に有利ではないからだ。

企業は実務的な人間を欲しがる。

しかし、哲学は、この世界の基礎を作っているので最も重要な学問である。

哲学と同じく基礎的な理念を扱う神学も同じである。

今の浅薄な時代風潮では、神学校ですら、観念を軽視する傾向にある。

しかし、牧師が思想に関して素人であれば、早晩教会は悪魔に乗っ取られるだろう。

悪魔の主要な攻撃は、思想に関するものである。

思想を変えれば、すべてを変えることができるからだ。

例えば、東京の一等地にある歴史的なある教会の多くは、自然主義やバルト主義によって骨抜きにされ、壊滅状態にある。

今では、ビリー・グラハムをはじめ、有力なラジオ番組などが、「キリスト以外にも救いの道はある」と教えはじめたことにより、福音派ですら異端化しつつある。

どんなに立派な建物があっても、牧師が異端思想にかぶれればすべてダメになるのだ。

だから、サタンは思想について手下を武装する。

思想担当の悪霊は、最も高級な(語弊があるが)悪霊である。

エクソシストのように人間に取り付くような霊は低級である。

あのような現象に人々の目を奪うことによって、彼らは最も重要な攻撃目標である「思想」の攻撃を容易にしている。

伝道者に悪霊払いなどをやらせて、人々の目が釘付けになっている間に思想改革、教育改革などを行うのである。

今や、サタンの思想攻撃によって、教会、ミッションスクール、伝道団体、その他様々なクリスチャンの活動が骨抜きにされている。

思想にこだわらない風潮はサタンが流行らせたものである。

「若い牧師は聖書研究などせず、伝道しろ」などというのは、サタンのごまかしである。

若い牧師ほど聖書研究せよ。

ノンクリスチャン哲学、バルト神学、自然主義神学のサタン的本質を見抜け。

そして徹底的に聖書的な思想を自分の頭脳に叩き込め。

それができていなければ、活動が的外れになり、自分の貴重な一生を無駄にすることになる。

 

 

2008年7月17日

 

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