危険は安全である
社会主義国家を唱導する人々は、「民衆は馬鹿だから、指導してやらないと間違う」と考えている。
本来民衆は馬鹿なのではない。社会主義の体制で馬鹿に「なる」のだ。
どの組織でもそうだが、メンバーを信用せず、何でも自分がこなさないと気がすまないトップがいると、組織は早晩死ぬ。外面的には命はあるが、内側は死ぬ。
そのような組織において、下の人々の自主性は損なわれ、やる気は奪われる。
社会主義の社会は、新しいものが出てくるとつぶす。基本的に「おまえらが新しいよいものを作れるはずがない」とトップが考えているから。
社会主義体制では、ピーターパンが増える。
自分で自分のやったことの始末をつけることを学ばないので、いつまでたっても責任の取れない人間が育つ。
「手取り足取りサービスしています」と国は言うだろうが、そのサービスが国民を堕落させている。
何年もの間、ヨーロッパの多くの都市で、ある実験が行われてきた。
それは、「すべての」交通標識を撤去するとどうなるか、という実験だ。信号、停止標識、速度表示標識すべてを取り去った。
http://www.lewrockwell.com/shaffer/shaffer213.html
オランダ、ドイツ、ベルギー、スウェーデン、ニュージーランド、イギリスも参加した。
事故の頻発の予想とは逆に、それは劇的に減少した(ある町では、年間8件が2件未満になった)。
その理由は、交通標識に注意を分散させられず、また、警察のネズミ捕りを心配したり、白バイを恐れてミラーによって後方チェックをする手間が省け、その分、他の車や歩行者に注意を向けることができるようになったからだ。
この実験を企画したハンス・モンデルマンは、「我々が望んだのは危険である」と述べた。
この実験に関する会議のテーマは「危険は安全である」であった。
さらに、彼は、この試みによって強調点が「政府がリスクを取る」ことから「ドライバーが自分のリスクを取る」ことに変化すると述べた。
「その道で誰が権利を有するかを正確に知らない場合、他の道路使用者とアイコンタクトを取り、自動的に速度を落とし、注意を払うようになる」
「多くの規則によって、我々は『配慮をするという能力』というもっとも重要なものを奪われる。」
「命令が多ければ多いほど、人々の個人的責任感は弱くなる。」
さらに、彼はこうまとめた。
「人々を馬鹿として扱うと、彼らは馬鹿として振舞うようになる」。
社会主義の特徴は、「人への疑い」である。人をいつまでも子ども扱いすること。リスクを避けて、できるだけ危険を避けようとすること。
こういう手取り足取り政策によって、我々は左翼小児病にかかり、立ち直れないくらい依存心の強い人間になる。
社会主義制度は、我々をピーターパンにしようとしている。
2010年4月7日
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