社民党や共産党は「ねずみ小僧政治」を捨てなさい


社民党や共産党は、「小泉改革は、富裕者に利益を与え、一般国民に負担を押し付ける改悪だ」と述べている。

そうだろうか?

マルクス主義が世界にはびこり、日本に侵入してから、「貧困者が富裕者から盗むことは許される」という考えが一般化した。

これは、「ねずみ小僧の政治」である。

金持ちから盗んで貧困者に分配したねずみ小僧を英雄視する社会は堕落した社会である。

まじめな貧困者は、自分のところに投げ入れられた小判を返却したはずだ。

どのような理由があれ、他人から盗んだものを懐にいれて平気でいられる人間は良心が麻痺している。

マルクス主義がはびこる社会に住む人々は、良心が麻痺しているのである。

一般人から見て、今日本をはじめ世界がやらなければならない改革とは、「金持ちから盗むのを止めようじゃないか。盗んだものを返そうではないか。」という良心の運動である。

しかし、現実的に見れば、実際、人々は自分自身盗まれていたのである。

金持ちから盗むことを承認した彼らは、自分自身税金という形で盗まれていた。

じゃあ一体誰がその金持ちのものを懐に入れていたのか?

政治家と官僚と利権企業である。

フジツボのようにびっしりとへばりついた特殊法人のような利権団体、談合によって利益を自分たちで山分けしてきた利権企業、その利権企業からの献金で潤ってきた族議員たち。

こういった仕組みに国民は気づいている。

そして、流れは改革のほうにあり、国民は彼らに投票するだろう。

だから、社民党とか共産党とかの先の演説を聞くと、一般の国民は「まだ言っているよ。」とあきれているのだ。

流れが読めないのは、政治家として無能な証拠である。

今は昔左翼と呼ばれた立場が右翼になっている時代である。

今や、昔革新と呼ばれていた人々は保守に、保守と呼ばれていた人々は革新に変わったのである。

リベラル派は、倒すべき保守派に変わった。

この変化は、100年に一度の大変化である。

社民や共産は、早く頭を切り換えろ!

あなたがたの「ねずみ小僧政治」ではもはや世界のどこでも通用しない。

最終的に、神の法を尊ぶ人々の頭上に栄冠が輝くことを知りなさい。

 

 

2005年8月27日

 

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