ユダの福音書とマリアの福音書
>どうして陰謀論者はイエス・キリストを信じないのですか?
人間は生まれながらに神の敵であり、神の側からの一方的働きかけがあって、悔い改めに導かれなければ、何人もイエス・キリストを信じることはできません。
>ユダの福音書やマリアの福音書などは誰が書いたのですか?
惑わしの霊を受けた人間です。
>また、聖典よりどうして年代が古いのですか?
聖典よりも年代が古いかどうかはなぞでしょう。だいたいこういう類の惑わしを持ち込む人々はどこかでズルをするものです。よく調べる必要があるでしょう。きっと後になって「あれは偽書だった」というのがオチでしょう。
新しい福音書が出た場合、クリスチャンは次の疑問を発する必要があります。
(1)もしこれが真理である場合、なぜ神は2000年もの間クリスチャンを真理から遠ざけてこられたのか?
(2)もし教会が2000年間啓示から遠ざけられてきたとすると、その間啓示なしで犯した罪(その新しい啓示において規定される法に違反する行為)を裁く合法性はどこにあるのか。つまり、人間が死後裁きの座の前に立ち、神からその新しい啓示において示された規則に違反したことを責められた場合、神はその責めの合法性をどのように獲得されるのだろうか。すなわち、それは事後法に基づく審判ということになり、神の完全性に傷をつけることにならないだろうか。
(3)新しい啓示が現れたならば、どうして古い啓示(現在の新約聖書)と矛盾するのか。たとえば、ユダは裏切り者ではなかった、というと、既存の福音書と矛盾するがどうしてか。聖霊は矛盾することを愛する教会に教えるのだろうか。もし教えたら、神は偽り者とならないだろうか。
(4)ユダが裏切り者ではないという教えが明らかに他の福音書と矛盾しているということは、聖書が全体として一つの有機体であり、ばらばらな文書の寄せ集めではないとの聖書自身の主張と矛盾するが、それをどう考えるのか。
(5)マリアは使徒に含まれていなかったのに、どうして正典を書けるのだろうか。もしマリアが聖書を記すことができたとすると、イエスが12弟子たちを使徒に任命し「あなたがたは私の証人である」と述べた言葉と矛盾するがどうしてか。
2009年6月19日
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