「女神 天照大神の謎」(仮説) by 奈良部恒平氏


日本には八百万の神が祀られている。では、秦氏(キリスト教系イスラエル人)はなぜ主イエス・キリストを隠したのか。無数の社と神体の数々は、どうして存在しなければならなかったのか?古代日本においてイエス・キリストは失われねばならなかったか・・・。

それは、富井先生のHPを始め、宇野正美氏、飛鳥昭雄氏や三神たける氏が一連の発表の中で述べているように、時が来るまで封印されているからであろう。天照大神はイエス・キリストである。シンプルに考えてみた結果、誰でも知っていることの中に、重要な手がかりがあった。それは天照大神が女神とされたこと、そして神道の最高神だという事実からの仮説検証アプローチによるものである。

天照大神が男神でありながら女神になった謎は、『創世記』3章15節の御言葉で解くことができる。

「・・・お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に わたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕き お前は彼のかかとを砕く。」

この文脈から、蛇(悪魔的な存在)と女と女の子々孫々に至るまでの決定的な対立関係があるということだ。つまり、日本という国はこの構図を文字通り体現化しているのである。八百万ともいわれる神々、社、宮、大明神など全ては、伊勢神宮(天照大神=イエス)の統治下にあることが示されている。なぜなら、天照大神は神道の最高神だからである。これは皇室を万世一系と呼称することにも関係してくるだろう。

もちろん、社や宮の中にはいわれの定かでないもの、御霊信仰によって造営されたものも存在している。しかし、怨霊を退散させる過程において、それが「主の御名」によって行われていたと考える。清められた場所には記念碑的な意味合で社が造営されたりしただろう。いずれにしても、例外なく最高神の臣下にあることは自明である。

もっとも最高神と位置づけがされたのは、明治天皇(皇室のルーツがユダヤ系であることを自覚され、キリスト教にも理解があった)の勅裁による。

※神道事務局祭神論争(1880〜1881年) 神道事務局内の祭神を造化三神(天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神)と天照大神の四柱を祀る派と祭神に大国主大神を加えた五柱にすべきとした派の対立。明治天皇の勅裁により天照大神の神格は最高位に位置づけられ前者に決定した。

更に重要なのは先の聖句のあと、『創世記』3章20節にアダムはエバ「命」と名づけたことである。

アダムは女をエバ(命)と名付けた。彼女がすべて命あるものの母となったからである。

もう気がつかれている通り「命」とは『ヨハネによる福音書』1章1〜5、9節を連想させる。

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。 この言は、初めに神と共にあった。 万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。 言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。 光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。・・・その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。

もったいぶるのはやめよう。神道事務局祭神論争で明治天皇により五柱ではなく四柱が採用された。それは四柱でなければならなかったからだ。なぜか?この疑問に対して『ヨハネによる福音書』から回答がえられると推測されるのである。

天之御中主神 = 言(ロゴス)

高御産巣日神 = 神

神産巣日神 = 命

天照大神 = 光 ⇒ イエス・キリスト

これにより古代日本は、蛇と女と女の子孫の対立関係を前面に打ち出した宗教国家であり、そのじつ神道とは一神教、天照大神が最高神にして、あえて万民にこれを示唆し分からせるため(また、秦氏のカモフラージュや母の役割(分霊)を担ったがゆえに)女神とされたのではないか、と結論が導かれる。そこには「聖霊」との関係もあるに違いないが・・・。

だから、古代日本において天照大神はイエス・キリストだったのである。鏡は姿を映し、光を反射させたりできる。伊勢神宮に安置されている天照大神のご神体「八咫鏡(やたのかがみ)」が映しているのは、サタンに対するキリストの勝利であり、日本中の社にある鏡のレプリカは、その栄光を反射している物だと、私は思うのである。しかし、残念ながら現在キリスト教と神道は異なる宗教という状況におかれている。だからこそ、民族的で霊的な回復が急がれるのである。

〜整理すると次のような連想になる〜

注意:⇒であり、=ではありません。


天照大神⇒女神(実は男神)⇒エバ(命)⇒命は人間を照らす光、即ちイエス・キリスト

イエス・キリスト⇒天と地の一切の権能を授かっている⇒顕幽両界を支配する「天地大主宰」、即ち天照大神

伊勢神宮(イエス神宮)⇒全ての社は臣下⇒八百万の神々や怨霊の頭を砕いている、即ち「主の御名」によっての勝利と統治

参考資料: 【フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』】

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8

【明治初年の国学者の神秩序構想 ――思想史的考察のためのノート――】www.ritsumei.ac.jp/kic/~katsura/titujyo.pdf


<tomi>以上は、ミレニアムの会員であられる奈良部恒平氏の論考である。天照大神が女神であることと、イエス・キリストが女の末であるとの創世記3章の箇所との関連、伊勢神宮が他の多神教の神社を従えているとの見解、大変興味深く有益なご意見である。

 

 

2007年10月5日

 

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