FEBCは異端である


FEBCは普遍救済主義であり、異端であり、非常に危険な番組である。


FEBC 2008年4月7日放送
質問:
宗教も悪くはないとは思うんですが、「キリスト教にだけ救いがある」とか聞くと、「もうついていけない」って思っちゃいます。
なんでそんな了見が狭い考え方なんでしょう?

M神父
 カトリック教会で言いますと、第二バチカン公会議の中で作られた教会憲章という文章があります。
 その中で、たとえキリストを知らなくても、その人が自分の心にささやく両親の声に忠実にしたがっている限り、その人は救われるんだっていうことをはっきり表現しています。
ですから私は、キリスト教だけに救いがあるという考え方はしていません。

 キリスト教の信仰ということをもっと本質的に考えますと、神様は全ての人をお造りになられて、ご自分の命に与らせようと望んでいらっしゃるわけです。
だから、全ての人の救いを望んでいると言ってもいいと思います。
そのために、神様はイエス・キリストをお遣わしになったのだと信じています。
イエス・キリストこそ、救いへの招き、神への招きというのを一番はっきりした形でこの世界にもたらしてくださった方であって、私たちはそのメッセージを聞いてもっと直接の形で神様に近づけると信じています。
イエスと出会うことを通して、神様に出会う。
イエスと交わることを通して神様と交わり、その命をいただくと信じるからです。
 
 歴史の中にはイエス以前にも人類は存在しましたし、今もイエスと出会うこと無く生活している人は無数にいます。
神様はそういう人たちをもお造りになった方ですね。
その人達はイエス・キリストを直接知ることは無いかもしれないけれども、その人達も自分の心の中に神様のささやきかけを聞いて、それに従おうとして生きているんだと思います。
だからこそ、いろいろな宗教がありますし、神様を真剣に求める人たちがいるわけです。
私は、そういうそれぞれの宗教や信念を通して、神様の救いに達しうると信じています。

聖書ははっきりとイエス・キリスト以外に救いはないと宣言しており、イエス・キリストだけが「門」であり、それ以外の門から入ってくるのはすべて狼であると述べている。

だから、こういった普遍救済主義を唱える番組は狼であり、羊を奪い、殺し、食べてしまうことを目的としている。

「了見が狭い」というが、ガンにかかって痛みを覚えている人に鎮痛剤だけ打って根本的な外科治療を施さない医者が「了見が狭い」といえるだろうか。

子供が包丁を持って遊んでいるのを見て、それを取り上げる親は了見が狭いだろうか。

その先を進めば必ず崖に行き着く道路に「これ以上進むな!危険!」という標識を立てる人が了見が狭いだろうか。

イエス・キリストは、「滅びにいたる門は広くそこから入る人は多い」と言われ、「狭い門から入れ」と言われた。

イエス・キリストだけが救い主であるという教えはキリスト教の基本であり、それを破壊しつつある現代のキリスト教界は背教の塔、バビロン、大淫婦である。

我々は一刻も早くこれらの滅びの教えから救い出され、彼らに近づかないようにすべきだ。

 

 

2008年4月30日

 

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