イルミナティと外交問題評議会4


イルミナティの草創期に話に戻そう。18世紀後半に、イギリスとフランスは、世界の2大大国であったため、ワイスハウプトは、イルミナティに、米独立戦争をはじめとする植民地戦争を準備し、イギリス帝国を弱体化させ、1789年にはじまるフランス革命を開始するように命じた。

しかし、1784年に、神の真の御働きにより、ババリヤ政府がイルミナティの存在をかぎつけた。もしフランス政府がその証拠を拒絶しなければ革命は起こらず、フランスは救われたことだろう。

神の御業は次のように働いた。ワイスハウプトがフランス革命を起こすように命じたのは1784年のことである。ツヴァイフというドイツ人作家がそれを書物に記した。そこには、イルミナティとワイスハウプトの全計画が網羅されていた。この本が、ロベスピエールが指揮するフランスのイルミナティのもとに送られた。ロベスピエールは、ワイスハウプトによってフランス革命の準備のために選ばれた人間であった。

フランクフルトからパリに向かっていた急使がローレストンにおいて雷に打たれて死んだ。 警察が死体の上にあったその計略を記した文書を発見し、しかるべき政府部署に渡した。 注意深い調査の結果、ババリヤ政府は、ワイスハウプトが新たに組織した「グランド・オリエントのロッジ」と彼の最も影響力のある組織の手入れを命じた。

新たに発見された証拠から、当局は、それが、イルミナティが世界統一政府の樹立を目的として戦争と革命を利用する計画であることを記した真正の文書であるということを確信した。ロスチャイルド家に率いられた彼らは、今日の国連の計画と同様に、世界統一政府の樹立と同時にそれを乗っ取る計画であるということがそこに記されていた。

1785年、ババリヤ政府は、イルミナティを非合法組織と指定し、「グランド・オリエント」のロッジを閉鎖し、1786年、計略の全詳細を公表した。その本の英語表題は、「イルミナティ組織による原文」であった。その陰謀の全体像を記した書物は、ヨーロッパの教会と国家のすべての首長に送られた。しかし、イルミナティの権力――実際はロスチャイルド家の権力――は強大であり、この警告は無視された。イルミナティという言葉は禁句となり、彼らは地下に潜った。

同時に、ワイスハウプトは、イルミナティに対して、「青いメイソン」のロッジに潜入し、さらに、すべての秘密結社の内部に自らの組織を作るように命じた。自分が国際主義者であること、そして、その行動によって神を捨てたということを証明できたメイソンだけが、イルミナティに入会を許された。それ以降、これらの陰謀家たちは、自らの革命的、体制転覆の活動を隠すために、博愛主義者と人道主義者の仮面をつけた。

イギリスのメイソン・ロッジに潜入するために、ワイスハウプトは「スコットランド・ライト」の高位のメイソン、ジョン・ロビソンをヨーロッパに招いた。ロビソンは、エジンバラ大学の自然哲学教授であり、エジンバラ王立協会の会長であった。彼は、イルミナティの目的が善意の独裁制を築くことにあるという嘘を信じなかったが、自分を抑えることに成功し、ワイスハウプトの信任を得て、その計略書の改訂版を入手し、調査した。

 

 

2007年8月15日

 

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