軽々しく古典を批判するな


最近、カルヴァンやルターを批判するクリスチャンがBBSなどに書き込みをしているのが頻繁に観察されるというのだが、500年間生き残って歴史的試練を潜り抜けてきたものが、そう簡単に否定されることはまずない。

否定できるとすればよほどの理屈を持ち合わせていないといけない。

だが、そもそもカルヴァンのキリスト教綱要すら読んでいない人間に何が批判できるのだろうか。

ヴァン・ティルやラッシュドゥーニーが価値を有するのは、それが、「論理的」「合理的」な正当性を持つからだけではなく、歴史的なキリスト教と正統的な教理に根ざしているからである。

つまり、「私は2000年間クリスチャンが知らなかったものを発見した」というような新興宗教のようなものではないから、価値がある。

人間の知恵の蓄積を背景としない意見などについて行くとろくなことにならない。

今教会が汚染されているディスペンセーショナリズムは、たかだか200年だ。

本格的に広まったのは、100年。

進化論も100年ちょっと。

このレベルだと古典には入らない。

つまり、まだ時間の試練に耐えたとはいえない。

ディスペンセーショナリズムのプレ・ミレが200年に対して、ポスト・ミレは1600-1700年だ。

圧倒的にポスト・ミレのほうが時間的審判に耐えてきた。

自分の人生という二度と繰り返すことのできない貴重なものをそんなポッと現れた豚の餌かもしれないようなものに掛けるのは危険すぎる。

古典を批判するならよほどしっかりとした研究をしてからだ。

 

 

2010年8月18日

 

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